《明日も晴れたらうれしいね》
真新しい家の玄関に、そんな札が掛かっていました。そういえば、昨日だれかが引っ越してきたようです。
なんだか不思議な気がして、ぼくはしばらくの間それをながめていました。表札――家に住んでいる人に名前が書いてあるアレ――はちゃんとはってあります。その他に、「晴れたらうれしいね」なんてはってあるのを、ぼくは見たことがありませんでした。そして、なんだか楽しくなってぼくはひとめで気に入ってしまったのでした。
ところが、「晴れたらうれしいね」って書いてあるのを見て、せっかくうれしくなったのに、次の日は雨でした。ぼくは、なんだか残念になってしまって、そして、ちょっとだけ心配になってしまいました。だって、晴れたらうれしいね……って書いてあったのに、しっかり雨が降ったりするんですから。
ぼくはまた、その家に行ってみました。
《残念! 雨になっちゃった》
そう書いてあるのを見て、ぼくはますます気に入ってしまいました。
日替わりだなんて。それに、心配することなんてなかったんです。雨になっても全然落ち込んだりなんてしてないじゃないですか。
ところが次の日……
《ほっといてちょうだい》
そう書いてあったんです。
ぼくは、どうしたのか気になってしかたがありませんでした。昨日までは、雨が降っても元気そうだったのに。
何度見なおしてみても、玄関の札には「ほっといて」と書いてありました。なんだか、ちょっと怒っているような、もしかしたら、泣いているような、変な字でした。
あんまり気になったので、ぼくは自分のことを思い出してみました。
ぼくが、どんな時に、「ほっといて欲しい」と思ったりしたか考えてみれば、どうして、「ほっといてちょうだい」なんて書いたのかわかるかもしれないと思ったのです。
いつだったか、せっかくの遠足にお弁当を忘れていったときには、ぼくは「ほっといてくれ!」って言いたいくらい悲しくなりました。買ってもらったばかりのこうもり傘を、風でとばされてしまったときにも、そう思いました。
でも、昨日は遠足なんてものはありませんでした。確かに雨だったのですが、風はなかったし、こうもり傘を飛ばされるなんてことはなかったと思います。
結局、ぼくには何も思いつきませんでした。でも、思いつかないけど、きっと、とても悲しいことがあったのだと思います。
次の日も、やっぱり、「ほっといてちょうだい」と書いてありました。
その次の日も同じでした。
ひょっとしたら、病気で寝込んでいて取り替えられないのかも知れません。
それとも、とっても大変なことがあって、帰ってこられないのかも知れません。
その次の日もやっぱり同じでした。
ぼくは、決心しました。明日も同じだったら、「ほっといてちょうだい!」って書いてあっても、何か話してあげよう思ったのです。
そりゃ、「ほっといてちょうだい!」って書いてあるのに、話しかけたりしちゃいけないのかもしれません。ぼくなんかが心配したりしても、なんにもならないかもしれません。
でも、とっても心配なので、ぼくはそう決めたのです。
そして、その次の日……
《もうちょっと待ってね、きっと明日は元気になります》
ぼくはすっかりうれしくなってしまいました。
もちろん、ぼくのために書いてくれたかどうかなんてわかりません。ぼくだって、どんな人が書いているのか全然知らないのに、ぼくのことを知っていてくれるなんてありそうにないことだと思います。
それでも、とってもうれしくて、次の日の朝一番で、ぼくはその家にようすを見行きました。
そしていよいよ、次の日には……。
《いらっしゃいませ、お茶でもいかが?》
ぼくは、まるで自分が「お茶でもいかが?」って誘ってもらえたようで、とってもうれしくなりました。
でも、どう考えても、ぼくをお茶に誘ってくれたわけじゃないと思いました。きっと誰か他の友だちを誘ったのでしょう。
それでも、このまま帰ってしまうのは、とてももったいない気がしたのです。
そんなことを考えながら、ぼくは玄関をうろうろしていました。
そうこうしているうちに、突然ドアが開きました。
女の子が立って笑っています。ぼくが、どうしたら良いかわからなくて、そのままでいると、
「いらっしゃい。私のこと心配してくれてたでしょう。ありがとう……毎日来てくれて。ありがとう、本当に……で、その……お茶でもいかが?」
ぼくが、毎日――いいえ、一日に何度も来ていたことがわかっていたなんて、とても恥ずかしかったのですけど、ぼくはお茶をごちそうになりました。
帰り際に見ると、玄関には
《じゃ、またあした》
そう書かれていました。