「ぼくはね、本当に彼女が好きだったんですよ。ふっ、『彼女』がね。いいざまでしょ、笑ってくださいよ」
しまった、こりゃずいぶんと酒癖の悪いのを紛れ込ませてしまったな。
「まあまあ、それは、おれも同じだよ。ほら、そこで飲んでる――っと、誰だっけ、ケイゾーにしたって、同じだ」
「あんたらね、うまいこと言ってごまかさないでくださいよ。いいですか、ありゃね、機械なんです、単なる機械」
「ああ、そうかもしれないな」
「そうかもしれないなじゃない、そうなんです」
「ああ、わかったわかった」
ま、こいつはまだ若いし、多少荒れるのも無理はないか。
おれたち三人。おれと、ケンゾーと、荒れに荒れているケンジは、ちょっとしたわけありで集まって、こうやって飲んでいるわけだ。
発端は、ユキという女だ。いや、違うか、正確には、ユキという機械だ。
技術の進歩が作り出した、バーチャル・ドール。男の相手をする女。いや、女の代用品とでも言うか。
なんでも、地球では「一部文化人」の反対によって、普及しなかったらしい。ま、実際問題地球には、それなりに「生身の女」がいるわけだから、わざわざ機械の世話になぞならなくても良いんだろう――と、おれは思っている。
で、ここのような地球をはるか隔てた辺境の惑星となると話は別だ。そもそも、「生身の女」などいない。たとえ金を積もうがどうあがこうが、いないものはいない。そんなわけで、ここらあたりでは、ドールが大繁盛というわけだ。
ドールといってもピンからきりまである。
一番値が張るやつは、まあ、ひとことで言えば、文字どおり人形といったところだな。
このタイプでも、「一見して人間の女」というのと、「一見してロボット」というのに別れる。
なにもわざわざ、ロボットロボットしたドールなんぞ連れて歩かなくても良いという気はするのだが、この、「ロボット型」のドールもそれなりに人気があったりするそうだ。
もっとも、「一見して人間の女」タイプのほうが売れているのは確かなようだが。
いずれにしても、このタイプは金持ちの相手しかしない。というより、金持ちにしか手が出せない。
もう少し安くなると、コンピュータの中の「画像」として存在するだけのドールになる。「画像として存在」といっても、ちゃんと会話ができたりするあたりは、人形型のものと変わらない。
一番大きな違いは、コンピュータの中にいる関係上、外を連れて歩けないとか、抱きしめることができないとか、まあ、そんなあたりだ。
で、このコンピュータの中のドールを自分だけで一人占めできるタイプが、若干お買い得というクラスになる。
さて、おれたちがさっきから話題にしているのは、ユキというドールで、これはさらに安い――というか、一番安いクラスのドールだ。
コンピュータの中の会話をこなす画像――であるのは、若干お買い得クラスと変わらないが、ドールを自分で占有することはできない。
何人かの男と共有することになる。ネットワークという便利なものがあって、このクラスのドールは、呼び出されるとそこに出かけて行く――とまあ、そういうことになっている。
そんなわけで、他の誰かの相手をしているときには、呼び出しても来てくれないというわけだ。
いずれにしても、おれたちがユキと呼んでいるドールは、コンピュータの中のプログラムだか、データだかの集合体ってなことになるんだそうだ。
実は、ちょっと前にユキが失踪した。
コンピュータのプログラム相手に「失踪」はおかしいが、事実、ユキはおれたち全員の前から姿を消した。
そこで、おれは、ユキと付き合いのあった――ユキを共有していた男を探したわけだ。
もちろん、自分のほかにどんな男と付き合っているかは、「プライバシーは厳重に守られます」ということで、知ることはできない……ことになっている。
というわけで、おれはほんの少しだけ非合法な手段を交えて、集められるだけの情報を集めて、ユキと付き合っていた男を三人ばかり突き止めることができた。
でまあ、ユキと付き合っていた同士、ちょっと飲もうかというわけだ。
「ところで、あんた何度めだ?」
ケンゾーが唐突に尋ねる。
「何が?」
「ああ、ドールがいなくなったのは何度めだと聞いてるんだが」
「それか。三人めくらいじゃないか」
「そうか。で、おまえは、その度にこうして人を集めてるってわけか?」
「いや。今回が初めてだ」
「なら、どうしてまた今回に限ってそんなことを?」
「男のにおいだ」
「何だ? それは」
「ユキには付き合っていた男がいたような気がする」
「おまえな、ぼけてないか? いたような気がするって、現におれたちが、ここにこうしているじゃないか。」
「そういう意味じゃなくてな、ユキには恋人としてつきあっていたような男がいる気がする」
「おまえ、気は確かか? さっきもそっちの坊やが言ってただろうか、ユキは機械。ドールが『恋人として付き合う』なんて馬鹿なことがあるか」
「ま、おれもそうは思う。ま、そうは思うんだがな、ちょっと気になったところもあったりするわけだ」
「そうですよ。そう言えば、ユキの様子が最近ちょっとおかしかったですよ。恋人なんかいたんですかね」
「おいおい、坊やまでそういうことを言い出すのか。まあ、いいけどな、ユキは確かに良くできたドールだったし、だまされたつもりで思い出話も、まあ、悪くはないが」
「雪って知ってるか?」
「見たことはないな」
「ぼくも見たことはないで。地球では地方によって降るんですよね、雪ってのが」
「で? それが?」
「ユキに聞かなかったか?」
「いや。どんな話だ?」
ユキは、短い物語を話してくれた。物語とすら言えないくらいの小さなお話。地球での思い出。
地球では冬があって、そうして雪が降ることがある。ユキのもとに、なつかしい電話がかかってきたのはそんな雪の夜のことだった。
懐かしい友達からの電話というのは――ユキの話によれば――こんな風だったそうだ。
「元気にしているか?」
「ひさしぶりね。どうしたの?」
「いや、こっちでも久しぶりに雪が降ってね、そうしたら、急に懐かしくなった」
「良い雪よ、今夜も」
「良い雪か?」
「うん。不思議ね。ちょっと暖かい雪」
「そうか。都会の雪はなんだか冷たい気がする」
「そう……。月が出ているわ」
「晴れているのか」
「そう」
「きれいだろうな、それなら」
「うん。きれい。いつもと変わらない雪景色よ」
「よかった」
「よかったって?」
「うん。ちょっと寂しくなって、ふるさとの雪景色を思い出したりしたから、今でも、出ていってしまった今でも、同じ雪景色があるってのは良いことだな」
「そうね。」
一面の雪。晴れ渡った夜空。明るい月。
ユキは、話し上手なほうだったから、おれは他にもいろいろなことを聞いたような気がする。それでも、おれにとってユキの原風景は、一面の雪を照らす月夜だ。
一度も見たことのない気色。
「それなら『風』だな、おれの場合」
ケイゾーが話をひきとった。
風。ああ、空気の流れのことか。
おれは、風など経験したことがない。いや、なくはないか。
ここがいくら辺境の惑星だといっても、空調のしっかりしたドームくらいはある。というか、地球と違ってドームくらいなくては、そもそも生きてはいけない。
だから、きっちりコントロールされたドームには、「風」なんてものはない。
ときたま、空調がおかしくなって、不愉快な空気の流れができてしまうことはあるが、多分、あれは風とは言わないだろう。
あと、ドームの外に出るときのエアロック。
なにぶんにも、ドームの外は真空だから、外に出るときには宇宙服なんぞを着込んで、空気圧の調整室でしばらく待つことになる。
外に出るとき――部屋の中を真空にするときと、帰ってきたとき――部屋の中の空気の状態を普通にするとき、空気が出たり入ったりはする。
でも、だれも、「風」なんて言い方をしたことがない。
「で、風がどうしたって」
「ああ、なんでも、ユキは風使いだったんだそうだ」
いや、風使いなんて言ってもな、ユキのやつが、自分のことを勝手にそう呼んでいたってだけのことらしいけどな。
ユキのやつは、風が好きで、風が吹くと風に吹かれるにまかせていたらしい。そうして、風の声を聞くんだとユキのやつは言っていた。
「風の声?」
「ああ、自然の風は色々なことを話して聞かせるんだそうだ」
「信じているのか、それを」
「ああ、ユキが話してくれたのだからな」
「そうだな」
風の声に乗って、悲しいことも嬉しいことも伝わってくる。ユキのやつはそれを聞いていたんだそうだ。
ユキのやつが話してくれたのはこんなことだった。
北の端に街がありました。
街にはたった一軒だけ宿屋があって、そして、宿屋の屋根裏部屋にはおばあさんが住んでいました。
屋根裏部屋のおばあさんのところには、時々誰かが相談ごとに来たりします。
「私の息子は、今、どこにいるんだろうか。しあわせにくらしているんだろうか?」
たとえば、そんなことを相談に来るのでした。
お客さんの話を聞いて、おばあさんはしばらく考え込んでいました。そうして窓を開けると、風の音に耳をすませるのです。
――そう……
あんたの息子は南の国の港町で暮らしているよ。船乗りのようだよ。元気そうだ。
ほれた娘がいるようだなね。
いや、あんたの息子が、結婚を申し込む決心をしたところだよ。
いつでも、お客さんは少しだけ嬉しそうな顔をして、それから、静かに帰って行きます。
街の人々が相談ごとをもちかけると、風使いは風に尋ねます。そうして、風の音の中に風が伝えてきてくれた話を聞くのです。
「そのばあさんがユキだってのは、変だな」
「まあな、そこまで気が回らなかったんだろう」
「気が回らなかった?」
「ああ、どうせ作り話だろうからな」
「そ・それなら、ぼくは、『砂漠』です」
おれたちが、少しばかり押し黙っていた後で、ケンジがつぶやくように言った。
「坊や、起きてたのか」
「坊やはやめてください」
「そうか。で、えっと、ケンジ、どうしたんだ、『砂漠』ってのは」
「えっと、ユキがね、話してくれたんですよ、地球の『砂漠』のこと」
「砂漠?」
「なんでも、あたり一面が砂ばかりで、水の一滴もない、そういうったところだそうです」
「それじゃ、この星だって、ドームの外はおんなじじゃないか」
「それは……それが違うんですよ」
「ほう、どんな風にだ?」
「ま、そのあたり、聞いてみようじゃないか、ケンジ」
「はい……」
ユキさんは話してくれました。
砂漠ってのは、そりゃ、雨の降らない一面の砂だけの世界なんですけど、それって、ずっと昔に誰かが生活をしていた場所なんです。
たとえば、この星だって、ドームの外は荒野ですよね。確かに。でも、この星の荒野って誰も住んだことのないところなんですよね。
砂漠は――地球の砂漠は、ずっと昔に誰かがちゃんと生活をしていて、それが砂漠になってしまって、誰も生活できなくなってしまった場所なんだそうです。
「だからどうだって言うんだ?」
ユキさんはね、こんな物語を聞かせてくれたんです。
たいそう古い村でした。
小さい村でしたけれど、街道の中にあって、また港もあったので、その村はたいそう栄えていました。
雨は少なかったのですが、近くの山に降り注ぐ雨が地下の水脈を通ってこの村を潤していたのでした。
水脈は村の真ん中にある湖に出ました。
湖の回りで人々は暮らしていたのです。
湖はいつでも水をたたえていました。誰もが、湖はいつまでも同じように水をたたえているのだと信じていたのです。
ところが、ある年の夏のことでした。
なんだか、湖の水が少しずつ減ってきたような気がするのです。
もちろん、初めのうちは誰もそんなことを信じたりはしませんでした。「気のせいさ」と誰もが思っていました。
そうして、時間が経ってゆきました。
湖が小さくなってきたような気がします。湖のほとりに立っている木も、以前はもう少し水につかっていたような気がします。
「湖の水がなくなってしまうかもしれない」
初めはひっそりとうわさが語られてゆきました。そうして、うわさは、やがて誰もが知っているうわさになったのです。
人々は占い師のもとを訪ねました。
「湖はどうなってしまうんだろうか」
本当のところ、占い師にもわかりませんでした。この村では占い師は古い記録を集めていて、何か事件が起こると、似たような記録を調べて、どうしたら良いのかを予言する――という仕事をしていたのです。
でも、どんなに記録を捜してみても、湖の水が少なくなってしまうなどということは、これまでありませんでした。だから、その後どうなるかなんて、占い師にもわからないのでした。
それでも、村の人々は占い師から答えを聞き出そうとしました。占い師は苦し紛れに、「湖の水が半分になった後で、また、元に戻るだろう」と、そう言ってしまったのでした。
村人はちょっと安心しましたけれど、湖の水は、半分になっても、やっぱり減りつづけたのです。
村人たちは騒いで、占い師を殺してしまったそうです。
その後しばらくして、湖の水は干上がり、村はなくなってしまいました。
ただ、今でも、湖の跡や集落の跡がかすかに残っていて、ずっと昔、確かに人々が暮らしていたことが――多分、市場にパンを買いに行った娘や、家族や恋人が、ここにいたんだと――今でもわかるのです。
坊やが話し終わって、おれたちはしばらく黙っていた。
「妙だな」
最初に話したのは、ケンゾーだった。
「なんだって、ユキのやつ、自分が体験したみたいに話したんだろう」
「だからな、それはユキが実際に体験したんだろう」
「そういうことにしておくか」
「坊やが――っと、ケンジか。ケンジが、ユキのことを好きになったってのは、わかる気がするんな」
「まあ、確かにユキのやつは、これまで関わったドールに比べたら人間味はあった。ただな、そりゃ、誰か知らぬが、ユキの設計をしたやつが、よっぽどさえてたというだけのこかもしれないぞ」
「それもあるな」
「おい、いやにあっさりと認めるじゃないか」
「どうせ、どうしたって、本当のところはわからないんだからな、自分が思ったように思っていれば良いさ」
「で、あんたとしては、ユキに恋人がいたっていうことか」
「ああ、地球生まれの恋人がな」
「そうですよ、きっと」
「おや、坊や、機械相手にほれたのはれたのって叫んでたのは誰だ」
「機械相手でも良いじゃないですか。ユキさんは、他のドールとは違うんです。それは、ケンゾーさんもわかってるでしょう、こうやって話したんだから」
「ああ、違うというのは確かだな」
「だったら、いいじゃないですか、機械のことが好きになってしまっても」
「強気だな、坊や。シンジが味方になってくれたからか」
「茶化すなよ、ケンゾー」
「そうですよ」
もう少しばかり話し合って、結局おれたちの結論は、ユキが、地球生まれの恋人と駆け落ちでもやらかしたんだろうということに決まった。
ケンゾーが折れて、同じ女を共有したおれたちは、思い出話に花を咲かせた。
ユキがどんな話をしていたのか、それがわかって、それぞれが新鮮で、しかも、それぞれに違和感がなかった。
そして――そう、結局ユキは一度もおれたちに媚びを売ったりはしなかっなとも、おれたちは話した。
結局ユキは、自分が話したいことを話していたんだと思う。
しばらくすれば、ドール管理委員会から、「ドール(ユキ)の不調のお知らせ」なんてのがやってきて、次のドールの斡旋なんてのをやってくれるだろう。
そうそう、抜け目なく、「事故の少ない占有型ドールへの移行のお勧め」なんてちらしも一緒に入ってることだろうな。
ユキは駆け落ちしてしまったんだから仕方がない――というか、ユキにあんな素敵な思い出を分けてやることができた恋人なら、競り合おうという気もしない。
おれは、管理委員会に別に抗議をするでもなく、新しいドールをあてがってもらうんだろうなと思う。
それでも、ユキのことは、きっと忘れないだろうな。
おれたちは、最後に、ユキと、そうして、見たこともない、おれたちの恋敵に乾杯した。