夏休みが始まって、一週間ほどの朝、ぼくは気分よく家を出る。自由研究で、近くのケアハウスに出かける。
自由研究――バリアフリーの研究。ちょっと前にテレビでやっていた、「車椅子で歩く街はとっても危険」という企画。ぼくはそれをまねることにした。
車椅子に乗って街を歩いてみれば良い。それで、動きにくいところとか写真に撮って地図に貼り付ける。
そんなことを考えながら、介護士の母さんがお願いしてくれてたから、すぐに車椅子を貸してもらうことができて、説明を聞いて、出かけることになった。
向こうから車椅子に乗った女の子が来る。にらまれているような気がする。まあ、気にしない。ところが、すれ違おうとしたとき、彼女が車椅子をあおると、ぼくの車椅子にぶつけてきた。
車椅子は倒れて、ぼくはあっけなく放り出されてしまった。
「危ないじゃないか」
「危ないんだったら、車椅子になんか乗らないことね」
「そっちがぶつかってきたんじゃないか」
「歩けるんでしょ、歩きなさいよ」
「なんだって……」
「怒ったの? じゃあね」
「待てよ。ぶつかっておいて」
「待ってほしかったら捕まえてみたら」
「なんだって」
売り言葉に買い言葉。ぼくは、彼女を追いかけ始めた。なに、相手は車椅子――と思ったら、彼女の車椅子は一瞬で向きを変え、すばしっこく逃げ回る。やがて、ぼくは疲れ果ててギブアップ。
「だらしないわね」
「そっちが車椅子でちょこまかするからじゃないか」
「そう……じゃ、腕相撲してみる?」
「腕相撲? 女の子相手に?」
「やってみなけりゃわからないわよ」
やってみたら、彼女は強い。ぼくはかなり粘ったけど、負けてしまった。
「あのね、足がだめだと腕で補うしかないの」
彼女は、唇をかんでいたような気がする。
翌日、もう一度ケアハウスに出かける。
昨日は知らない女の子とあんなことになってしまったけど、自由研究はやらないといけない。そういうわけで、もう一度出かけるわけ。ま、あの女の子は無視することにしよう。
と、彼女は玄関で待ち構えていた。
「しまった」と思ったけど、意外にも、「昨日はごめんなさい」だって。どうしちゃったんだろう。
「ちょっと考え直したの。今日は私が案内してあげる。あ、私、彩夏」
「考え直したって何を? あ、ぼくは賢治」
「しばらく街の中を歩いてから教えてあげる」
しかたなく、ぼくは彼女のあとをついて行った。
突然、ぼくの車椅子は、がくっと傾いて、動けなくなってしまった。彩夏は知らん顔で、そのまま「歩いて」ゆく。
「ちょっと待ってくれよ」
「あら? はまったの?」
「ああ、動けない」
「いいわよ、初めてなんだし、降りて押したら」
それもそうか。
その後も何度かはまりながら、彩夏のあとをついて行く。彼女は、とても器用に車椅子を傾け、跳ね上げ、少しの段差は気にせずに歩いて行った。
「すごい……」
「すごいでしょ? でも、みんながこんな風に歩けるわけじゃないの。車椅子のおかげで、やっと歩ける人もたくさんいる」
「だけど、すごい」
「昨日ね、言われたの。彩ちゃんはちゃんと走れていいねって。あんたが――賢治が歩けるくせに、車椅子に乗ってみるだなんて、許せなかった。でも、結局私も、車椅子を動かしたり、腕力があったりを自慢しただけ――結局『あたしはこんなこともできるんだよ』って、自慢しただけだってね」
「でも、すごいよ」
「うん。ありがとう。でも、やっぱり知っておいてね。車椅子に乗ってるのは、いろんな人がいるって」
「うん。わかった」
それからもぼくは彩夏に会った。彩夏と一緒に、いろいろな人が車椅子で歩く姿にも出会った。
結局ぼくの自由研究は、「車椅子で暮らす人たち」というタイトルでできあがった。