このお話はある年の秋の終わりに始まりました。
小さな花の種が――その花の種を運んだ鳥がすこしばかり、ひねくれていたのか――仲間の花が咲く場所から少しばかり離れたところに落ちたのです。
しばらくして、雨が降ったり風が吹いたりで、この種はうまい具合に土に埋もれることができました。
そうこうするうちに雪が降る季節になり、春を待つ間、種は眠っていました。
雪が溶ける頃になって、種から生まれた小さな芽は地面の上に顔を出しました。
それは本当に小さな芽でした。種が地上に初めて芽を出した日はとても風の強い日でした。小さな芽は風に吹かれて、地面に押しつけられていました。まだまだ生まれたばかりの芽でしたけれど、ほんの少ししか顔を出していなかったので、強い風でも平気でした。
強い風の音があたりに響いていました。風は春の訪れを喜んで歌っていたのかもしれません。小さな芽は、風の響きの中にひとり立っていました。風の声を聞いているようにも見えました。
そうして、花の芽はひとり、風に吹かれていたのでした。
春の風が消えると、静かに雨が降りました。雪の溶けた後の暖かい雨でした。
小さな芽は静かに雨に濡れていました。
しばらくがたって、小さな芽は少しだけ大きくなりました。小さな葉っぱを二枚つけてお日様に向かって少しずつのびてゆきました。
小さな花の芽を訪れたのは、今度は夏の前の雨でした。春の暖かい雨はすぐにやんだのですけれど、今度は少しばかり長く降り続きました。雨も少しだけ強くなっていて、とても暖かな雨でした。
他に花も咲いていない野原で、小さな芽はからだいっぱいに雨を受け止めているように見えました。そして、雨たちが交わす会話に聞き入っているようにも見えたのです。
また別の日……。小さな虫が小さな芽の周りを飛び交っていました。虫もまた、密やかな会話を楽しんでいるように見えました。
夏が来ました。
小さな芽はもう小さな芽ではなくて、野原にちゃんとたっていました。まだつぼみはありませんでしたが、空に向かってまっすぐに伸びていました。
その日は何日か日照りが続いた後で、あたりの空気もひどく乾いていました。
地面を蟻が行き来していました。つぼみのない花は、日照りのせいなのか少しうなだれているように見えました。そっと、行き交う蟻に目を落としているように見えたのです。
時々風が吹きます。花は風に吹かれて少し揺れます。空には入道雲が集まり始めました。
夏の激しい雨が降り始めたのは突然のことでした。花は水を吸って、またまっすぐに伸びることができました。
それにしても激しい雨。
蟻はいつの間にかいなくなっていました。
地面が雨に打たれて、土がはじけるのでした。花も雨に打たれていました。でも、なんだか激しい雨に打たれても、うれしそうに踊っている……と、そんなようすに見えたのです。
秋になると、花にはちゃんとしたつぼみができました。いえ、よく見ると少しばかり欠けているようです。あの夏の雨の日に傷ついてしまったのでしょうか?
それでも、相変わらず花はまっすぐに伸びていました。
そしてまた幾日かが過ぎて、秋のしっとりした雨が降り始めました。それにしても、いろいろな雨のよく降ることといったらありません。
その日、花が咲いたのでした。
他には誰もいない野原で、花が咲きました。しっとりした雨に降られながら、思い切りのびをしたように、花が咲いたのでした。
もっとも、花びらがひとつだけ破れたようになってしまったのは、やっぱり夏の日に傷ついてしまったのかもしれませんが。
花びらがひとつ破れてしまっていたとしても、花は本当にのびのびと咲いていて、咲くことがとてもうれしかったように見えました。
さて、こういったことは、仲間の花たちも誰もいない野原で、誰も見ていないままで起こったことなのです。
それでも、花はとてもうれしそうに咲いていました。
花が咲くと、季節は少しずつ冬に変わってゆきました。花はいつしかうっすらとつもった雪の下で動かなくなりました。
そんな時ですら、花はとてもうれしそうに見えたのです。
こうして、ある年の冬にこのお話は終わったのです。