弔い人

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96/02/18 16:17:02 ERIKA    ハシカミ ―― 弔い人 その1

 ハルカが亡くなった。
 ニュースは瞬く間に街道を流れた。さすがに、彼らの情報網と言うべきか。ニュー
スを聞くや、おれは「雨の街」に向かった。彼ら――この街道のジプシー達を『街道
物語』シリーズとして紹介して、おまけにそれなりに売れている以上、取材旅行とい
うのは格好の口実だ。そして――おれは、いささか不謹慎ながらも、久しぶりに出会
うはずのハシカミのことを思い浮かべていた。

 ハシカミの方が先に着いていた。急遽しつらえられた「奥の間」でユカルハと話し
ている。ハシカミがおれを招き入れてくれた。
 ユカルハはハルカの後継者で、おまけに彼女の娘だ。奥の間にいるのは不思議でも
なんでもない。そして、おれが見ているハシカミは、雨の街ではいつでもユカルハと
一緒にいた。だから、この時にはハシカミが奥の間にいるのを、別段不思議なことだ
とは思わなかった。この、ユカルハとハシカミのささやかな会見が、今回の事件の発
端だとは、思いもよらなかったのだ。

「ユカルハ?」
「なに? ハシカミ?」
「さっきそこで珍しい人に会ったわ」
「これだけ集まってるのだから、懐かしい人も多いでしょう」
「ええ――だけど、それはそれは珍しい人よ」
「誰?」
「ペペルとハルカ」

 なんだって? おれは叫び声を上げそうになる。ペペルは、ハシカミの父親で、と
うに死んだはずだし、ハルカに至っては、この弔いの主じゃないか。

「人違いでしょう」
 ユカルハが冷たくほほえむ。
「人違いですって?」
「そう。ペペルに良く似た人と、ハルカに良く似た人」
「そう……そういう訳ね」
 ハシカミはハシカミで、妙な納得の仕方をしている。

 ジプシーが「死ぬ」ということには2つの意味がある。ひとつは、本当に死ぬ場
合。いまひとつは、「死んだ」と宣言して、ジプシー仲間から離れること。だから、
ハルカの場合はきっとそうなのだろう……ハシカミがいとも簡単に納得してしまっ
たので、おれはそう解釈した。2人の表情がひどく気にかかってはいるのだけど。

「それにしても、どうしてあの2人がこんな時に……」
「ペペルは、私の父親だわ」
「なんですって……それって、ユカルハ。じゃ、私たち、従姉妹どうしって……」
「違うわ」
「違う?」
「姉妹よ」
「嘘……」
「残念ながら、本当だわ」

 ユカルハは、静かなほほえみを浮かべながら全てを話し、ハシカミは、ほとんど
自失の状態でそれを聞いていた。
 ハシカミが、本当はハルカとペペルの間に産まれたこと。もともとユカルハとは
双子の姉妹であること。そして、産まれたばかりのユカルハの目をつぶしたのは、
ペペルであり、それがもとでペペルはハルカのもとを追われ、さらにハシカミの
「両親」に彼女を奪われたのだということ。

「じゃ、私の両親が死んだのも……」
「それは違うわ。ハシカミのご両親――ハシカミを育ててくれた人たちは、本当に
事故で亡くなったそうよ」
「そう……本当に……」
「ハシカミのご両親が、事故にあったりしなければ、ハシカミはジプシーの生まれ
であることなんて一生気づかずにいたでしょう。そして、もしも、ペペルがご両親
の事故を仕組んだのなら、ハルカは、決してあなたをペペルに渡したりはしなかっ
たわ」
「どういうこと?」
「それはね……」
「……ナギは……席を外してもらった方が良い?」
「いいえ、一緒に聞いてもらえばいいわ」

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96/02/19 23:11:18 ERIKA    ハシカミ ―― 弔い人 その2

「ユカルハは、決してうっかりや、なりゆきで人を傷つけるような人じゃないわ」
 ふたりきりになったときのハシカミの第一声は、こうだ。
「そう……彼女の言葉が私を傷つけるのなら、それは、彼女がそう意図したという
こと」

 ユカルハはオサパと呼ばれる紐細工を弄びながらハシカミに話したのだった。
「ハシカミは、オサパは余り得意じゃなかったわね」
「そう……16になるまで、ジプシーの生活はしなかったから」
「でも、少しくらいは解るでしょう?」
「そりゃ、最初の所くらいはね」
「上の紐を右下がりにすると?」
「わたしは、左の紐を差し出す」
「どうしてだか知ってる?」
「どうしてって?」
「むかしからそういうものだった?」
「そうだわ」
「私はね……」

 ユカルハは話した。
 産まれたときから目が見えなかった。不思議なものよね、ハシカミや、私の周り
の人たちにとって、目が見えないというのは、ずいぶんと不自由なことらしいわ。
でもね、産まれたときから見えないとそんなに大変なことでもないの。それに、言
葉は聞こえるもの。表情が見えなくても息づかいは解るし、雨の音だって聞こえる。
 そう……見えなかったものだから、私はオサパを覚えた。一日中触っていたこと
もあった。おかげで今じゃ、オサパの天才だものね。

 そうするうちに気づいたの。上の紐を右下がりにすると、左の紐を差し出す。オ
サパの始まりはいつもそうだわ。まるで、こんにちわって言って頭を下げると、い
らっしゃいませって迎えるように。
 気づいたら、後は簡単だった。誰かが言ってたわ、ジプシーには文字がないって。
嘘よ。オサパが文字だったの。そして、ただの子供の遊びなのに、驚くほどたくさ
んの「筋道」がある。子供の時から教えられて、ジプシーなら誰でも(あ、別に、
嫌みじゃないのよ、ごめんね)知っている。少しずつ変わって行くけれど、大筋で
変わることはない。誰もが覚えてしまう。

 そうね、厳密な意味ではオサパは文字ではないわ。文字は言葉を写したものだけ
れど、オサパは事件をそのまま写したものだから。ジプシーの誰もが忘れている、
けれど、心のどこかで、ふと不安に感じる……。
 金と銀の神話。誰もが知っていて、誰もがお互いに話す。けれど、きまって、ひっ
そりと誰にも聞かれないように話す。どうして、聞かれたくないのに話し続けなけ
ればならないのかしら。そう、忘れたいのに、でも覚えておきたい神話。
 金と銀の神話は、ずいぶんと歪められているわ。オサパに本当のお話が残ってい
た。

「やめて!」
 ハシカミが叫んだ。ユカルハはそれを無視する。

 オサパを守り続けたのは、本来占い師なの。ペペルはかなり詳しく知っていたと
思うわ。だからペペルは私の目をつぶした。そうすれば、私が謎を解くだろうと思っ
てね。

「おねがいだから、それ以上、話さないで!」

 そして、一度はあなたを、ご両親に奪われたものの、事故でまた、あなたが戻って
きた。ペペルはどうしたかしら? なぜ、あなたをジプシー達の中に入れなかったの?

「いや、いやよ!」

 私が物語を解きあかす。そして、あなたがそれを伝えなければならないのだわ。
ナギを――街の住人を愛したあなたが。

 ここまで聞いたところで、ハシカミは逃げ出した。
 おれは後を追い、二人きりになったとき、ハシカミはおれに持たれて泣いた。
 ハシカミがひどくおびえているのは解ったが、そもそも、なぜハシカミがおびえな
ければならないのか、おれにはさっぱり解らなかった。

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96/02/28 23:07:14 ERIKA    ハシカミ ―― 弔い人 その3


 ジプシーたちに伝わる組み紐細工(オサパ)に付いて、ユカルハからハシカミへの
最初の手紙。

 ハシカミ。あなたには話しておきたかった。あなたはおそらくはジプシー達の中で、
最後の(あるいは、最初の)占い師になることのできる人なのだから。
 私達ジプシーは自分達の文字を持っていません。言葉は持っているのにです。なぜ
だか解る? おそらくは、文字はあまりにも言葉に依存しているからだと思うのです。
そして、確かに私達には「文字」はないけれど、変わりにオサパがあります。

 前に話しましたよね。厳密に言えばオサパは文字――言葉を写すためのものではな
くて、事件をそのまま写し取るためのものだと。その意味では、むしろ絵画に近いと
思います。ただ絵画――鑑賞するためのものに比べると、もう少し文法だとか、文脈
だとかに似たものがあって、正確な伝達手段になっているというだけです。

 オサパ。考えようによっては、これほどジプシーの立場を物語るものもありません。
自分達の間で何かを伝えるには、(文字ではなくて)言葉でことたります。ハルカが
亡くなったという知らせは、少なくともあなたのもとには手紙では届かなかったはず
です(ナギの所にはどうかしらね……もっとも、彼も私達くらいには噂を聞き分ける
力はありそうね)
 そして、私達は「街の住人」に伝える言葉を必要としなかった。

 オサパは、その誰でもない、いわば、見知らぬ誰かへの伝達手段であっただろうと
思うのです。むしろ、私達の直接の祖先がオサパを創り出したのではないかも知れま
せん。私達だって、「見知らぬ誰か」であったのかもしれないのです。
 オサパは文字に比べてもっと直接的です。だから、私達の言葉を知らない誰かだっ
て、意味を読み取ることが出来ます。絵画に比べて統一性があります。いくつかのオ
サパを読み解くうちに、隠された意味を正確に読み取れるようになるでしょう。
 オサパの中に物語が潜んでいるのだと、ただ気づくことさえできれば。

 まだ、完全には種明かしをしません。私達の父親はペペル――希代の占い師でした。
そして、愛娘のあなたを占い師として育てた。なぜ、彼はあなたに何一つ占いを教え
なかったのか、少し考えてみてね。

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96/02/29 23:23:38 ERIKA    ハシカミ ―― 弔い人 その4

 ハシカミがナギにあてた手紙

 ナギ、本当のことを言えばあなたに抱かれたくて仕方がない。おまけに今夜は同じ
村にいるってのに、わたしはここで、手紙を書いている。変ですね。少なくとも私の
行動様式ではないわ。
 まあ、それも良いでしょう。変にいいわけを考えるのは良くないことだから。あな
た一緒にいたいのは確かだけど、私はやせ我慢でここに居残っているのではないし、
もちろん、主義・主張でここに残っているのではさらさらないし。

 ユカルハから手紙が来ました。彼女の流儀だと「手紙」なんてものではなくて、そ
れこそオサパの束でも送りつけたかったことでしょうに。
 恐いな。ユカルハは恐い人です。如何にわたしでも一晩はあなたにもたれて泣き崩
れなければならなかったのはご承知の通り。
 そして……解ってしまうから、なおさら恐い。

 相手の気持ちが解らないときには、不安になるものです。でも、なまじっか解って
しまうから恐怖という感情になる。彼女は手紙に書いてきました。私はもう少し考え
てみたほうが良いと。なぜ、名の知れた占い師であったペペルが娘の私に何一つ占い
を教えなかったのか、それでいて、なぜ占い師として育てたのか。
 答えはほとんど解っています。というよりは、「完全に種明かしはしない」なんて
書いておきながら、ユカルハはあまりにもヒントを書きすぎたのです。
 恐らくは……彼女は、わたしがかなりの所まで理解するのを期待していたのでしょ
う。そう、彼女は決して、「うっかり」よけいなことまで書く人じゃない。
 ユカルハの気持ち。おそらく彼女はわたしを殺したいのです。なんて、ナギに言っ
たら驚いてくれるかしら。正確に言えば、死亡宣告をしたがっているのです。

 オサパは、彼女が言うとおり、記録文書であり、歴史書なのだろうと思います。そ
して、間違いありません、ジプシーの占いはオサパを使った占いだったのです。ユカ
ルハは言いました。わたしのことを、ジプシーの中で最後の(あるいは最初の)占い
師になることができると。わたしが占いを何一つ教わっていない、そして、盲目のユ
カルハが(ペペルは、それを期待したと思います)自分自身の「文字」の必要から、
オサパを文字の替わりに使い、そして、いずれ隠された意味を見破ることを。
 占い師のわたしが、その意味を知ったなら、きっと、ジプシーの、固有の占いに帰
ることができるでしょう。
 ただ、なぜわたしだったのでしょう? なぜ、わたしが占い師として育てられたの
でしょう。ユカルハが読み取った秘密を伝えるのは、なぜわたしの仕事なのでしょう。

 単純に考えれば、ユカルハがわたしの「死亡宣告」を下したがっているというのは、
彼女が読み取った秘密を、わたしが伝えることを拒んだと言うことなのです。ならば、
なぜ、彼女はオサパの秘密をわたしに教えたのでしょう。
 解らないことはまだあります。なぜ、ペペルとハルカは寄り添って歩いていたので
しょう。自分の娘の目をつぶした男を、なぜハルカは許したのでしょうか。

 できるだけ素直に考えましょう。
 ユカルハはわたしに、何かを(誰かに)伝えて欲しくて仕方がない、それと同時に、
いつまでもそれを秘密にしていたい。
 ペペルはユカルハに……誰かに、オサパの秘密を読み解いて欲しかった。ハルカは、
オサパごときで、娘の目をつぶしたペペルが許せなくて、そして同時に、ハルカ自身
も、オサパの秘密に、あるいは、ユカルハひとりと引き替えにできるほどの重みを感
じていた。
 誰もが、全ての秘密を解きあかしたくて、それでも、秘密は秘密のままにしておき
たくて、その思いは、最もジプシーから遠い、それでいて、ペペルとハルカという、
生粋のジプシーの間に産まれたわたしに収斂せざるを得なかったのでしょう。

 ことによったら、わたしは、係わった全ての人々を、無責任だと非難することがで
きると思います。ただ、そのなかでもユカルハのかかわりかたは、評価に値するで
しょう。彼女は積極的にわたしをけしかけたのであり、同時に邪魔をしているのだか
ら。
 彼女も迷っているのは確かなのです。

 まず、わたしは何を伝えるべきなのか知ることから始めなければなりません。
そうして、ナギ、わたしはあなたと同じ村で、あなたを思いながら、あなたから離れ
たそれでいて(おそらく)あなたの近くでこの手紙を書いています。
 わたしは、ユカルハが感じている恐さをまず、自分自身の肌触りとして、感じるこ
とから始めます。

 この手紙は、ナギ、あなたにとって中途半端で抽象的で我慢ならないものだと思い
ます。ただ、あなたと離れたところで手紙を書いているわたしの、こういった手紙を
書かずにいられなかった、わたしの感じている恐怖を、どうか、わたしのいない、け
れど、わたしの近くで感じて下さい。

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96/02/29 23:26:48 ERIKA    ハシカミ ―― 弔い人 その5

 ハシカミがナギにあてた2通目の手紙

 ナギ、あなたはいつか言ってくれた――違うか、あなたの書いたものを読んだん
だわ。こう見えても、わたし、あなたの結構熱心な読者なんですからね。
「人を信じることもせずに、助けを求めるのは、自分で不安の種を蒔いているよう
なものだ。誰かに助けを求める前に、誰かを信じることを覚えなければならない」

 まさに、その通り。
 そうしてみると、ハルカもユカルハも、あるいはわたし自身も、ほとんど何も知
らないあなたを、ずいぶんと信用したものだと思います。
 間違いない。ハルカは、わたしの成人式であなたを見つけて、わたしがジプシー
でなくなったとしても、あなたと一緒に暮らしてゆけると思ったのでしょう。ユカ
ルハにしたってそう。あなたがいるから、遠慮なくわたしに死亡通告をしようとし
ている。

 そして、わたしは……。
 ごめんね、わたしの味方はあなたひとりだわ。きっと。それに引き替え、ユカル
ハはジプシー仲間のほとんどを味方に引き入れている。本当にごめんね。勝てっこ
ないって思っているわ、わたし。
 でも、あなたが一緒にいてくれるなら、ユカルハと張り合って、それで負けても
いいわ。

 いつかあなたは言った。ジプシーでなくなったハシカミなど、好きにならないか
も知れないって。わたしはあなたが好きです。ジプシーであり続けるかどうかは別
にしても、いつか、あなたと暮らすことはやぶさかではありません。
 でもね、あなたに好かれたいから、わたしはジプシーのままでいる訳じゃない。
決して。

 わたしがわたしのままであったなら――それは、たぶん、わたしがジプシーであ
るかどうかよりも、もっと本質的なことだわ――あなたは、わたしのことを(もし
も、今もまだ好きでいてくれるのならね)好きでいてくれるだろうから、わたしは、
迷うことなく、思い悩もう。

 ふふ、われながらおかしな表現だこと。
 ナギ、あなたに相談を持ちかけるかも知れません。何もかもひとりでかたをつけ
るつもりはないから。
 でも、わたしは、わたしの考えで、悩んでみます。あなたの目を気にしないで
――あなたは、そんなわたしのことが好きなのだから――そして、あなたの目を感
じながら。

 あなたがわたしのことを嫌いになったのなら、それは、わたしがわたしでなくな
ったときでしょう。たとえそうだったとしても、変わったわたしのことを、わたし
自身が愛せるのなら、それはそれでいい。
 でも、自分自身が好きでいられる自分だったのなら、たとえそうなっても――あ
なたに嫌われたとしても(そして、それは、ありそうにないことだと、本当は思っ
ているのね)――少なくとも、あなたは、わたしの名前を覚えていてくれるだろう
と思う。

 明日は、ハルカの葬儀です。あなたも参列すると聞きました。
 今夜、わたしは本当に恐い。こうして、震えながら、手紙を書いています。

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96/03/01 23:18:58 ERIKA    ハシカミ ―― 弔い人 その6

 ハルカの葬儀が行われた。
 おれは、末席だとはいうものの、葬儀に加わることを許された。

 ハルカの――おそらく空っぽの――棺の前にいるのはハシカミとユカルハ。二人が
姉妹であることは知らされたのだろうか。知らされなかったとしても、ハシカミもユ
カルハもハルカの「生徒」で、ハルカに名前をもらったのだから、それは不自然なこ
とではないけれど。

 ユカルハが静かにうたい始める。弔いの歌だ。少しばかり遅れて、ハシカミがうた
い始める。ハシカミは歌うたいでもあったんだな。おれは、妙に感心する。
 不思議な歌だ。2人は2人して、全然別の歌をうたっている。後で聞いたのだが、
ユカルハはハルカが生まれてから亡くなるまでの物語を、ハシカミは同じ物語を逆の
流れで歌ったらしい。2つの別々の、しかし、全く同じことをうたった歌。

 歌が半ばに達すると、ユカルハが何本かの紐を取り出し、編み始める。オサパだ。
こんな所にまで。編み上がったばかりのオサパをハシカミが引き取って解き始める。
あるいは、ユカルハが解き、ハシカミが編む。ずいぶんと長い時間が掛かる。編み、
そして解く。少しも進んでいないようで、それでも、やがて、まとまったオサパの束
が編み上げられてゆく。弔いの歌はまだ続いている。

 やがて、焼香が始まる。焼香と言っていいものかどうか解らないが。
 参列者のひとりが、オサパを棺に供える。そして、なにやら――おそらくは、別れ
の言葉を語る。弔いの歌に混ざって、また、それとは別の言葉を。
 別れの言葉が終わらないうちに、次の参列者が焼香に向かい、そして、また別れの
言葉を語る。
 不思議な光景だ。2人の歌い手、そして、何人かの参列者が思い思いに歌い、語る。
言葉の氾濫。それでいて、誰の言葉もはっきりと聞こえてくる。彼らの言葉が解らな
いのが悔やまれる。

 葬儀は夜半から明け方まで続いた。
 ハシカミとユカルハは、喪主として、「奥の間」で、その後一日を過ごした。おれ
は、立ち入ることもできずに、宿に帰った。
 「ナギの目を気にしないで、けれど、ナギの目を感じて、遠くで、けれど、とても
近くで」ハシカミは、ユカルハとの時間を過ごした。

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96/03/02 19:32:41 ERIKA    ハシカミ ―― 弔い人 その7

 ハシカミからナギへの3通目の手紙。

 最初にこれを言っておかなければ。ナギ、明日はあなたの所に帰ります。平気な
顔をしてか、それとも、おびえきった顔でか。

 ユカルハとの関係を説明しようと思うと、言葉に詰まってしまいます。そう、言
葉はあまりにも舌足らずだわ。ユカルハは(少なくともわたしにとっては)冷酷で、
それでいて、優しい人です。時に冷酷で、時に優しいのではなく、いつだって冷た
くて、そしていつだって暖かい。

 不安よりは、恐怖のほうが、まだ質がいいというのが、私達の持論です。それで
だわ、ユカルハが、何もかも、必要以上にわたしに話しかけるのは。もちろん、わ
たしもそうしているのだけど。
 双子の姉妹。かたや目をつぶされてジプシーの中で生き、かたや、自分が本当の
所はジプシーじゃないと思いながら(ペペルに拾われたと思ってましたからね)街
道を渡り歩いていたわたし。ユカルハはわたしへの憎しみと嫉妬を全部話してくれ
た。わたしのことを思いやって……ではないのかも知れないけれど、それでも、わ
たしはユカルハがわたしに対して抱いていた悪意を知って、ユカルハが本当にわた
しを憎んでいるのを知って、おびえている。
 でも、皮肉ね。ユカルハが全部話してくれたのだから、彼女はそれ以上わたしを
憎んではいないのだというのは、とても安心できる。

 確かに、恐怖は不安よりはまだ質がいい。
 もちろん、わたしも、ユカルハに憎まれ口をきいたけれどね。

 不思議な関係だわ。まだ、ユカルハが何をどう考えているのか解らない。わたし
だって、彼女に感情をぶつけただけで、どうしようなんて、考えていない。それで
も、彼女のことが信じられるし、不安はない。
 ユカルハを信頼して、全てを話したのだから、たとえ彼女がわたしの敵であった
としても(そして、たとえ勝ち目はなくても)彼女に挑み掛かることはできる。

 そう、思い上がりなのかも知れない。でも、もう全部話してしまったのだから、
たとえ間違っていても、ユカルハを信用しよう。そう、不安は恐怖より、もっと質
が悪いのだから。

 ナギ、明日はあなたの所に帰ります……って、2回目ですね。
 ふと思ったのです。わたしの帰るところはどこなんだろうって。そりゃ、家をも
たないのがわたしなのだけれど、わたしの帰るところは、雨の街の「教室」かしら、
それとも、ナギ、あなたのもとだろうか。
 最悪の状況を想定すると、わたしはジプシー全部を敵に回しかねないようです。
「ジプシーの秘密」をめぐって。
 正直なところ、ジプシー全部を的に回してまで、誰かに伝えなければならない秘
密があるなんて、わたしには信じられませんけどね。とにかく、可能性としては、
ジプシー全部を的に回しかねないそうです。ユカルハは、変に脅しを掛ける人じゃ
ないから、彼女がそういうのなら、たぶん、そうなのでしょう。

 そうなったとき――こう見えても、内省はわりと得意なのね――わたしが恐れて
いるのは、実際にジプシーたちに危害を加えられるということではなくて、むしろ、
2度と、「教室」に帰ることも、ジプシーの誰かと話すこともできないということ
でした。
 今でも、ユカルハの他に、そんなに親しくしている人はいないし、おそらく、ユ
カルハだけはその時でもわたしのことを解ってくれるし、隠れて会ってくさえくれ
るだろうという確信もあるのに、「教室」を離れることは、おそろしいのです。

 「ふるさとの呪縛」そう、これは、ナギ、あなたの言葉でした。
 わたしが決心をするときに、もっとも、障害になるのは、「ふるさとの呪縛」で
しょう。たとえ、全ての「教室」関係者、つまり、全てのジプシーを憎んでも、
そして、わたしの帰る場所が――ナギ、あなたのことよ――あったとしても、「教
室」を離れることがたまらなく恐ろしい。

 でも、そうね。もしも、わたしがジプシーの全部を敵に回さざるを得なくなって、
ジプシーの全てを憎みでもしなければ、「伝える」ことが出来なくて、そして、
「伝える」べきことが本当に必要だと思ったのなら、いくら恐くても、「教室」か
らでて行かなければならないわ。

 わたしが感じているのは、あなたのもとや、あるいは、見知らぬ場所に出かけて
行くことの恐怖じゃない。決してない。
 恐らくは、単純に、今まで過ごしてきた「教室」を離れること、そして、「ジプ
シー」を憎まなきゃならないこと、そういった恐怖なのだから。
 たとえ恐くても、誰かを憎まなきゃならないときには、はっきりと、ちゅうちょ
なく、憎まなくちゃね。

 ナギ、明日はあなたのもとに帰ります(ふふ、3度目ですね ^^;)

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96/03/03 10:51:49 ERIKA    ハシカミ ―― 弔い人 その8

 朝早く、ハシカミは帰ってきた。オサパの束をぶら下げて。
「どちらかというと、元気そうだが……」
「まあね、結局のところ、まだ良く解らないから。『秘密』が何なのか」
「本当は、単なる思い過ごしだとか」
「そう思いたいけど……ユカルハともあろう人が、大騒ぎするのだから、よほどの
ことなんだわ」
「で、とりあえず、何も無しってとことかな」
「ううん、どうなのかしら。どうもね、ユカルハには解っているみたいなの。で、
この束がその記録なんだそうだわ。ユカルハの言うには、わたしなら……ハシカミ
なら、知ってしまったら黙ってはおかないだろうって」
「で?」
「で、ユカルハとしても、賭けにでたわけ」
「賭け?」
「そもそも、わたしがオサパを読み解けるかどうか」
「自信の程は?」
「たぶん……間違いなく読み解けるわ。そう、ユカルハも知ってる。これが決して
賭けになってないってね。『種明かしはしない』なんていいながら、ヒントをちり
ばめてきた、最初の手紙と同じだわ」
「で、『伝える』のか?」
「おそらくね」

「ただ、ひとつだけ解ったことがあるの」
「解ったこと?」
「覚えてる? 『金の神と銀の神の神話』」
「ああ、ハシカミの大反対を押し切って、本にした奴だな」
「そう」
「12人の赤ん坊のために12個の贈り物を準備したという……」
「それ。どうやらね、贈り物は12個だったけれど、赤ん坊はひとりだったらしいの」
「それが?」
「ひとつ、あの神話は正しく歴史を反映していない。ひとつ、誰かが意図的に神話を
書き直した。書き直された神話には誰にも知られたくない――けれど、誰かに伝えた
い、そんな事件が隠されているものだわ」
「そんなものか?」
「作家の反応じゃないわ」
「ま、そうだな。ただな、『誰かに伝えたい』かどうかは別だ」
「別?」
「伝説ってのはな、消しさっても誰かが覚えているものだ。本当に秘密にしようと
思ったら、消し去ってはいけない。間違いを伝えないと」
「なるほどね。じゃ、誰も『神話』の秘密を伝えたいとは思わなかったと……」
「それは、中身が解ってからの話だな」
「そうね……」

「世界は狂気であふれている……」
「これはまた唐突だな」
「うん。ジプシーの中にも、勘の鋭い人はいるのね」
「話になってないぞ」
「うん……ユカルハのことをね、『あんたはおかしいんだ』って、吐き捨てていった
男がいてね」
「どう思う?」
「ユカルハ? うん、彼女は、実際、ちょっとはおかしいわね。でも、それ言ったら、
わたしだって、少々おかしいわ」
「あっさりと言うな、これはまた」
「そうよ。あたりまえのこと。多少の狂気の影は、少なくとも、わたしが愛する人な
ら誰でも持っている」
「おれもそうかな」
「ふふ、ユカルハを刺し殺そうと思ったことって、誓って一度もない?」
「まあ、誓うのはちょっと困るな」
「でしょ。そういうこと、わたしの言ってるのは。多かれ少なかれ……あるいは、
多少、雰囲気に出るかどうかだけの問題よ。占い師の常識」
「常識?」
「そう。でね、いちばんおかしくなってしまうのはね、『こいつはおかしい』って、
騒ぎ立てる当人だわ」
「それは……」
「彼――ユカルハに捨てぜりふを吐いた男は、もうだめだわ。誰でも多少はおかし
いって、自覚してないのに感じているから、自分は大丈夫だって、自分は何がなんで
も正気なんだって、強弁したくなる。だから、誰でも――そう、だれでもいいの、
自分が、『こいつはおかしい』って、さわぎたてても平気だと思うか、それとも、
放って置いたら自分のほうがおかしいと見破られるんじゃないかっていう、不安に
かられたか、そうしたら、『こいつはおかしい』って決めつけてしまう」
「ほんとに?」
「そう。占いしながら、いくらもいたわよそんな人たちは。もっとも、身勝手な理
屈をつけてくるけどね。『親の愛情』だとか、『家柄』だとか、『世間体』だとか。
その人たちに取ってね、『彼はおかしいのだ』って、またとない口実なの。だって、
どちらがどう正しくて、どちらがどう間違っているかなんて、突き詰める必要がな
いんだもの。『おかしいのは、奴だ。故に(どこが、故にだって言うのよ)自分は
正しい』ってね。」

 ハシカミは続けた。
 極々まれに、「彼はおかしい」という側が、正しい場合もあったわ。もちろん、
それだって、比べてみれば比較的正しいって言うだけよね。
 その場合は、すぐに解る。少なくとも、「愛している」というのが、本当で、
そして、正確に判断しているのなら、決して騒ぎ立てたりはしないから。

 ハシカミの話が終わった。
 ユカルハのもとで何があったのだろうかと、おれはいぶかった。ハシカミは何か
隠している――というよりは、ほとんど何も話していない。ただ、ハシカミは、確
ユカルハのもとで、これだけのことを感じたのだろう。

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96/03/03 11:32:59 ERIKA    ハシカミ ―― 弔い人 エピローグ

 ハルカの葬儀も終わり、おれたちはまた、自分の住む場所へ帰ることになった。
 ハシカミと過ごす時間が少なかったせいで、おれは、自分自身の帰路の2日の行
程につきあうことを、不承不承のハシカミに承知させた。

 おれが待っている間、ハシカミはユカルハと話していた。解る気もするのだが、
やはり不可解だな。この期に及んで、なぜ、ユカルハと話すのだろう。おそらくは、
彼女の「敵」と。

 それにしても、今度の旅は、解らないことだらけだ。結果としてハシカミの思い
やら、持論やらを、ひたすら聞くことになって、ハシカミが何をどう考えているの
かは解ったし、それは、おれにとって決して不愉快なものではなかった。
 が、どうしてハシカミは、ここまでひとまとめにして、話したんだろう。「最初
の占い師」「不安は恐怖よりもたちが悪い」「ふるさとの呪縛」「世界は狂気にあ
ふれている」
 まるで、言葉の洪水だ。

 恐らくは、ハシカミが、とんでもない量の考えごとをしているということだろう。
そして、まだ、ハシカミはそれについて、ほとんど話していない。おそらく、あと
2日の行程でも何も話さないだろう。

 この話には続きがある。
 おれの街で一夜を過ごして、旅に出る直前に、ハシカミは言った。ユカルハと、
2ヶ月後の再開を約束したと。おれも交えて……だそうだ。
 その時には、ハシカミが、そしてユカルハが、何を考えていたか、もう少し話し
てくれるだろうと思う。

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96/03/03 11:33:28 ERIKA    ハシカミ ――弔い人 神話


 昔、2人の神様――金の神様と銀の神様――が世界を治めていました。
 ある日、2人の神々は、【地上で初めて生まれた赤ん坊】に贈り物をしようと
思い立ちました。12個の贈り物がより出され、使者が呼ばれると、地上に向か
いました。
 ところが、その途中で、鳥にぶつかりそうになったはずみに、使者は、贈り物を
ひとつ落としてしまったのです。

 使者は夜通し贈り物を探したのですが、結局見つかりませんでした。
 明け方になってから、使者は、しかたなく11個残った贈り物を【魚に託しま
した】
 1個を欠いた贈り物は、海を漂っていきました。

 「おまえ達の責任だ、金の神は星くずになれ、銀の神は朝露になれ」
 その時、声が響きわたったと言います。
 そして、それ以来、世界は人が治めることとなりました。

 不思議な話です。
 これがオサパに残っていた神話だそうです。
 以前紹介した、ジプシーたちに伝わる神話と異なる場所には、【…………】を
つけておきました。

 これがどういう意味なのか、ただ単に間違って伝わっただけなのか。全てはいず
れ明らかになるだろうと、今はそう思うのです。

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『弔い人』 by 麻野なぎ
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(licensed under a CC BY-SA 4.0)

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