【レース】[96-12-23]
「ごめん。心配かけた?」
「そんなに怒んないでよ。わかってる」
「うん。そんなに大変じゃない。ちょっとぶつかり方が派手だったから、騒ぎが大き
くなっちゃった」
「うん。わかってるって、レースやってても、スローイン・ファーストアウトは鉄則
です。うん。それはわかってる」
「だからね……ものすごく調子が良かったの。マシンと一体になるって、こんな風な
んだなっと思った。でね。兄貴が、あれほどレースに夢中になってたのがわかる気も
したな」
「違うって、そうじゃないって。あたしだって、兄貴が喜んで死んでいったなんて思っ
てない。たとえ、好きなバイクに乗ってたからって、そのまま死んじゃったりしたら
たまらないと思う」
「そう。でもね、兄貴があんなに夢中になったのも、しょうがないかなってね。今日
ね、最終コーナーの入りが完璧に決まったの。自分でもほれぼれする。でね、ああ、
このままコーナーに沿って走りぬけたらどんなに良いだろうって思ったの」
「うん。そうよね。わかってる。最終コーナーで、8000回転越えたら、コーナー
飛び出すって。あなたの計算したその通りに飛び出していったわ」
「ううん。嫌みじゃない。うん。後で話すね。でね、このまま走り抜けられそうな気
がしたの。自分のからだが、バイクと一体になって、自分の思う通りにバンクして、
思う通りのコースをトレースした。ああ、こんな瞬間なんだな……って、思ったら
飛ばされてた」
「うん。自重する。まだ死にたくはないものね。ちょっと実感無いけど」
「ごめん。ほんと、気を付ける。死んだりしない。だから、またがんばろうね」
「あなたのチューンは、ぴったりだった。『おまえのバイクに仕上げてやる』って
そのとおりだったわ。別に8000回で最終コーナーまわれなかったからって、けな
してないって。こう言うと怒られるかな。飛ばされる瞬間まで、あたし、バイクと
いっしょだったのよ」
「うん。だから、自重するって。しばらくは思い出にしておく」
「しばらくはって? だって、きっと、最終コーナーを気持ちの良いスピードでク
リアできるバイク、できるでしょ?」
「うん。だめ。あたし、期待してるもん」
「そう。思ったの。あなた言った通り、8000回越えたらコースアウト。あなた
は、バイクに乗らないのに」
「そうそう。乗るのよね、レースには出ないけれど。紙の上で、あなたは、限界の
スピードを知っている。あたしは、今日、やっと限界のスピードを知ったわ。あな
たが、ずっと前に知っていた景色をやっと見たのかもしれない」
「そう。そりゃそうだわ。わたしは、実際にバイクと一体になって、風の中を走っ
た。あなたは、そりゃ、紙の上だろうけど、まだ誰も聞いたことのない、きしみを、
風の音を、そして、倒れこむバイクのスピードを感じる。偽物だっていうかもしれ
ないけど、あなたのほうが、いつも先に知ってるんだなって思ってね」
「うん? ちょっとね、不思議だなって思ったの」
「じゃ。うん。大丈夫。防備は完璧だったから。あさってには退院できると思う。
じゃね。うん。大丈夫だって。うん。本当に自重するから。じゃ」
【雪塚】
いつもより寒い冬が訪れる。今年の雪塚は、いつにもまして大きいようじゃが……。
祖父や、あるいは曾祖父の時代の言い伝えがよみがえる。雪塚が大きくなる、寒い年
には若者がさらわれてゆくのだ。
この村の雪は、本当に山から降りてくる。山頂が白く染まり、山肌の白さが、次第
に山裾に向かって押し寄せてくる。雪が村の近くまで押し寄せてくると、初めての
雪――それは決まって吹雪になる――が見られ、一夜で村は雪に包まれる。そして、
山の中腹に雪塚はできる。
雪のない時分、そこは、広がるばかりの荒れ地。雪の作る奇跡。いつもなら、人ひ
とりが立っているような、塚と呼ぶには貧弱な突起。実際、立ち尽くす女のように見
えないこともない。
曾祖父の時代。いつもより寒い冬に、家ほどの大きさの塚ができたことがある。そ
の年、ひとりの若者がさらわれた。
男たち総出の山狩りが行われた。紅一点の、若者の婚約者も同行した。
人々の言い伝えでは、若者を見つけたのは彼女だった。いや、実際には、彼女は雪
塚をさして叫んだだけだ。「あのひとはここにいる」
男たちが雪塚を崩し、凍えた若者を引きずり出した。娘の口づけで、若者は意識を
取り戻した。
村で一番と噂される若者がさらわれたのは、こうした話が交わされた翌日のことだっ
た。村人達は、男が帰らないのを知ると、雪塚に向かった。村人達は、曾祖父の時代
の言い伝えにあったように、雪塚を崩し、若者は連れ戻された。
奇妙な伝説は、今でも途絶えたわけではない。何十年か、あるいは、なん百年かが
めぐり、雪塚が家ほども大きくなると、今でも若者がさらわれてゆく。村人達は、そ
の度に雪塚をつき崩し、凍えた若者は、娘達のひとりの口づけで目を覚ます。
つき崩された雪塚の後には、いつもの年に見られるような、塚と呼ぶにはあまりに
も貧弱な、まるで、女がさまようような、小さな雪塚が、雪の造形の奇跡が、残って
いる。
【A Letter Lunar.】
若者がひとり。デパートから買ってきた一番安い香水瓶に詰めた自分の「恋心」を
落としてしまったところ、折からの満月の光がそれを見つけだしてくれたそうです。
若者は、あまりうれしかったものですから、お月様に手紙を書いたのです。
手紙が届いたとしたら、お月様は感激したかもしれません。なぜって、たったひと
りでいつも同じように光を投げかけているだけだったのに、それがうれしいだなんて
手紙を受け取るのは、やっぱりうれしいことだと思うのです。
けれど、結局、若者は手紙を出しませんでした。
なんと言っても、住所がさっぱりわからなかったものですから。
そういったわけで、若者は、恋心と一緒にお月様への手紙を詰めるために、もう少
しだけ大きな香水瓶を買いなおしたそうです。
【雪降る夜に……】
「雪が降ってきたよ」
「そう? 寒くない?」
「寒くはない。良い雪だな。降り始めて少し暖かくなってきた」
「そう。それにしても、駅から自分の家まで延々歩くつもり?」
「そのつもりだけど」
「物好きね」
「ああ、帰り道の電話に延々つきあってくれるって言う、物好きがいてな」
「良かったわね」
「ああ、良かった」
「何してる? 今?」
「セーター編んでるの。健気でしょう?」
「返事に困るようなこと言うな」
「ふふ、今年のうちには編み終わると思うわ」
「期待してるよ」
「うぬぼれてるんだ、あなたのだとは限らないわよ」
「誰のだよ」
「ノーコメント」
「そうか」
「うん」
「何かかけようか」
「そうだな」
「じゃ……」
「明日香か」
「あなた好きでしょう」
「そうだけど……なにか、他意はないか? この選曲?」
「何もないって……あ、キャッチ入った。ちょっと待ってね」
「ああ」
「お待たせ」
「待ったぞ」
「またそういうこと言う。意地悪なんだから。雪は大丈夫?」
「大丈夫だ。本当に良い雪だな」
「そう。こっちは、きれいに晴れてるわよ。星がきれい」
「…………」
「でも、ちょっと寒いけどね」
「思い出すな。冬は寒かったものな……風は?」
「うん、そんなに強くない。まだ、冬になったばかりだもの」
「そうだな」
「ところで……」
「なに? 改まって?」
「明日あたり、おじゃましても良いかな?」
「どうぞ、良いわよ。ここしばらく会ってないし。また、休憩しに来るんでしょ」
「そうだけどな」
「じゃね、来てくれても良いし……まあ、本当のところあなたに会いたいし、でもね
私には休憩に出て行くところなんか無いんだからね、それを承知で来るように」
「手厳しいな」
「私だって、時には甘えるわよ」
「じゃ、明日な」
「うん、待ってるわ」
「どうしたの、まだ切らないの?」
「あいにくと、まだ帰り道の途中なんでな」
「そう……じゃ、私の愚痴も聞いてくれるわね、いいでしょ」
「ああ、いいよ」
「じゃ、一日早いけど……」
【雪の女王】
風の音に混じって、突然、大きな音が響く。
「何の音? あれは?」
「ケーナは灯台は初めてだったかな」
「そうよ」
「それじゃ、知らないのも無理はない。あれは氷河の落ちる音だよ」
「氷河の?」
「そう、氷河だ。山の奥からゆっくり流されてきて、向かいの岬から海に落ちる」
「流れるの? 氷河が?」
「そうだよ。目には見えないけれど、ゆっくりゆっくり、海まで流されてくる」
「それから?」
「海に落ちたら、少しずつ溶けながら、また流されてゆく」
「それから?」
「少しずつ溶けて、最後には海の中に消えてしまう」
「それから?」
「消えてしまったら、それっきりさ」
「ふうん」
私は入れたてのココアをケーナに手渡した。外は相変わらず吹雪いている。今度
氷河が海に落るまでには1週間ほどかかるだろうから、これ以上ケーナを驚かせる
ことはあるまい。
「おいしいね」
「良かった」
「暖かいわ、ここは」
「そう、吹雪は入ってこないからね」
「でも、びっくりしちゃった。灯台まで来たらすごい吹雪なんだもの」
「雪の女王っていうんだよ」
「雪の女王?」
「そうさ、聞こえるだろう、雪の女王の泣き声が」
「吹雪の音よ」
「ここではね、ずっと前から、雪の女王の泣き声だって言われてきたんだ」
「ふうん」
私は、ケーナに短い神話を話した。この地方では、冬の夜に誰かがいなくなると、
雪の女王にさらわれたのだと言う。女王は氷河の奥に住んでいて、人をさらってく
ると、宮殿に住まわせるのだと言う。
「こわい……」
「大丈夫だよ、どんなに激しく泣いても、雪の女王は暖かい部屋には入れない」
「寒いの? 雪の女王の宮殿は?」
「そう、寒いのさ。連れて行かれた人たちも凍えてしまうくらいにね」
「それから?」
「雪の女王は、寂しくて、夜道を歩いている村人をさらってゆく。でも、雪の女王に
さらわれた村人は、凍えて、話もできなければ、歌も歌えない」
「それから?」
「だから、雪の女王は、いくら村人をさらっても、いや、村人をさらえばさらうほど
寂しくなるのさ」
「かわいそう……ここに来てお話しすればいいのに。そうしたら、私もお話しできる
わ」
「人が雪の女王の宮殿には入れないのとと同じで、雪の女王は灯台の中には入れない
のさ」
「ねえ?」
「なんだい?」
「氷河は流れてるのでしょう?」
「そうだよ」
「じゃ、雪の女王の宮殿に連れて行かれた人たちも……」
「何10年か、何100年かしたら、帰ってくるさ。氷河の流れに乗ってね。ゆっく
りと、ゆっくりと流されて」
それっきりケーナは何も言わず、吹雪に耳をそばだてているようだった。
【Happy Land.】
――君がホームに立つ頃、世界は朝であった――
お気に入りの詩の一節をつぶやいてみる。原作では、「君」は駅で夜明かしする
ことになっているのだけど、私は夜明かしなんかしない。
実に健全に泣いて、泣き疲れるとそのまま眠って、目覚めは午前5時。そうして、
少しばかり薄暗いホームに立った。
上りと下りの始発列車は、同時に発車する。さいころ振って、下りの列車に乗る。
はは、下りの列車だと階段渡って向こう側のホームに行かなくても良いという事情
も頭の片隅にはあった。
午前5時52分。ささやかな旅は始まった。
少々うつらうつらして、気がつくと「彼女」がいた。小学生くらいかしら。
彼女は私が目をさましたのに気づくと、トランプなど取り出すと、ひとりカード
を繰っていた。相手をしろというご指名はなさそうで、それはよいとしよう。と、
突然。
「ふうん、おねえさん、しつれん したんだ」
ガク ^^; トランプ占いって訳? でも、なんてことを。だいいち、「しつれん」
なんて言葉、ちゃんと舌が回ってないじゃない。
「あんたね、意味わかってんの?」
「わっかてるわよ、かれし に振られたんでしょ」
「まあ、意味って……確かに、そうなんだけどね」
「で、じさつ しにいくんだ」
は? 「じさつ」が「自殺」という意味だとわかるのに、少々時間が掛かってし
まった。そりゃまあ、そういうケースもあるかも知れない。でも、いくらなんでも
こりゃ、理論の飛躍ってもんよね。
「あのね、ピクニックに行くんじゃないんだから……。それに、おあいにくさま、
振られたくらいで死んだりしないわよ。そりゃ、私としても、彼――あきらには甘
えっぱなしだったけど、ちゃんと甘えるだけの価値のある人にしかもたれ掛かった
りしないもの」
あ、余計なこと言っちゃった ^^; あきらに甘えてたなんてのは、関係ない話だ。
それにしても、わたしも案外いいこと言うじゃない。「甘えるだけの価値のある人
にしかもたれ掛かったりしない」か、メモしとこう。
「そうか……振られただけじゃ、みんなが じさつ するわけじゃなのか……」
「あんたね、『みんなが』じゃなくて、普通はしないの、そんなこと」
なんか、夕べ思いきり泣いたのが、ばかばかしく思えてきた。そりゃ、初めから
首吊るつもりも、飛び込むつもりもなかったけど、まあ、考えてみればばかばかし
いわね。
「ふうん、けっこう けなげ なんだ」
おい、この子、本当に意味わかってしゃべってるんだろうか。健気ってことはな
いでしょうに。相手してるうちに、落ち込んだだけでもばかばかしいって気にはなっ
てくるわ。ま、そういう意味では良い薬になってくれてるのかも知れない。
「そっか、しつれん って、あまり大したことじゃないんだね」
ま、そういうことにしておこう。
その後しばらく話して、結局彼女のことは氏名・年齢不詳。まあいいでしょう。
年端もゆかない女の子相手の恋愛談義。あきらのことは、好きだったけど、今は
そうでもないよ――なんてことを言って、どうして嫌いになっちゃったの? なん
て聞いてくれるから、どうしてかしらね? なんて話しそらして。
「ときどき思い出したら、どうしてだったのか、考えてみるのもいいかも」
なんて反撃されて。
そうこうするうちに、彼女は降りていった。
「おねえさん。本当はね、あたし全然心配してなかったの。おねえさんの寝顔とっ
てもきれいだったから。寝顔のきれいな人って、いつまでも、落ち込んでたりしな
いから」
え? 思ったときには、彼女の姿はどこにも――ホームにもなかった。
そうね。そろそろ、私も帰りの列車に乗り換えるか。早起きしたから、今夜はちょっ
と早めに眠って、一晩あけたら「世界は朝」ね。
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Nagi -- from Yurihama, Tottori, Japan.
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