日本昔話

目次


『かぐや』 [→index]

 一番はっきりと言えることは、ゆうべ、彼女が月に帰ってしまったという事だ。いや、違っていたのかも知れない。ただ、彼女は、おれたちが見ている前で月の光の中に融けてしまったというのは、間違いのないことだろうと思う。
 初めて出会ったとき、ステージの彼女は「かぐや」と名乗った。客の望みに応じてピアノを弾き、時に歌った。このあたりのバーでは、珍しくもない。

 前言取り消し。
 これだけ上手いとなると、ちょっとは珍しいかも知れない。
 おれは、割と性急な方でさっそく彼女に話しかける。まあ、歌を誉めるだけなのでね、気楽なものではある。「ありがとう」のひとことで、その夜は終わり。
 おれは、こう見えても作曲なんぞをしていて、自分で書いた曲を彼女に歌ってもらおうかと考えた。作詞は下手だけどね。そんなところで、知り合いをひとり引っぱり出した。作詞させたらこいつは上手い。
 バーに出かけて、かぐやの歌を聴かせる。やつもその気になってくれた。そりゃそうだ、これだけの歌い手が、こんな場末にいるというのは、奇跡に近い。

 やつもやたらに凝って、おれも負けないくらい凝った曲作りをして――なんせ、自分の書いたものを聴く機会などなかったからな――何週間かで、おれたちの曲は、完成した。さっそく、かぐやに交渉して、おれたちは一度だけの、おれたちの歌を聴いた。
 店が引けたあとで、おれたちは、かぐやを追いかけて礼を言った。かぐやは、しばらく黙っていた。「本当は、歌を歌っていたくはないの」
 かぐやは、やっとの事で、それだけしゃべった。
 それが夕べのことだ。

 というわけで、おれは、かぐやが好きだったわけだけれど、かぐやが自分自身のことを好きじゃなかったというのなら、そして、今とは違う自分を捜しに出かけたのなら、それはそれで良いのかも知れないと、今夜になって思ったりもする。
 ずいぶんと皮肉だなと思う。かぐやのことは好きだったけれど、彼女が見つけだすかぐやの方が、おれは、もっと好きになってしまいそうな気もしている。
 おりしも、今夜は十六夜月。


『つう』 [→index]

 微かな赤ん坊の泣き声を聞いたような気がする……

「見たのね」
「なにを?」
「とぼけないで。あれほど、機織りの間は覗かないでねってお願いしたのに」
「だから、なにを?」
 彼女は、おれの方に向かって歩き始めた。 「あなただけは信じていたかったのに」
「ああ、見たさ。おまえが赤ん坊を食っているところをな」
 白状しないことには、おれまで食われそうだ。

「そう。やっぱり。あなただったのね、覗いていたのは」
「おまえ、普段ほとんど食べないものな。何で赤ん坊を食べるなんて馬鹿なことを」
「あなたが売りに出た反物には、赤ん坊の腸の筋が混じっていたのを知らないのね」
「うぐ。なんてことを」
「もちろん、それだけのためじゃない。私はね、人間しか受け付けないの。他の食べ物じゃダメなの」
「そ……そんなことは」
「心配しなくて良いわ、出て行くから」
「ま、待ってくれ。わかった、おまえのことはおれがかくまう。だから出ていくなんていわないでくれ」
「ばかね……。わたしは、あなたでも食べるかも知れないわよ」
「それでもかまわない。ここにいてくれよ」
 こんな男だったなんて、とんだお笑いだわ。
 人を食うとは言っても、半分は人間だったようで、こんな男に惚れてみたのが大間違いね。

「覚悟をおし……」
「…………」
 あたしは、男を抱きしめて、首筋にねらいを付ける。
 ずいぶんと長い間、男のことを見ていた。
 結局あたしは男を食べないまま、家を出た。

 ふん、ばかばかしい。
 人間が――自分たちの仲間が食われているのを見ておきながら、「かくまってやる」とは、ちゃんちゃらおかしい。あれはまずそうだわ。女房と自分の一族とどちらが大事かもわからない色ぼけか。

 こんどは、ちっとは旨そうな男にありつけるといいわね。


『姫』 [→index]

 姫は座っていた。どのくらいここに座っているのか姫にもわからないくらい長い間、姫は座っていた。「姫」。こう呼ばれ始めたのはいつの頃だったのか、それすら、姫にはわからなかった。ずっと昔は何か他の名前だったように思う。

 人の気配。姫は知っていた。この気配は「長者」という。
 長者は、毎日のように姫の元を訪れて、その度に姫は思うのだった。どうして長者は、こんなに怯えているんだろう。長者は、訪れる度に、自分がどれほどの米倉を持っているのかを話した。そんなに話し続けなくても、米倉とかはなくならないだろうに。ああ、それとも……ずっと聞かないでいると昔の名前を忘れてしまうように、話さないでいると、米倉のことなども忘れてしまうのだろうか。
 私なら、名前を忘れても別に困らなかった。長者は、米倉のことは忘れると困るものなのかしら。

 そういえは、長者は今夜に限って、他の話もしていたような気がする。 「婚礼……ああ、思い出した」
 私は、明日「婚礼」というものをするのだった。何だったかしら? あ、そう、明日、私は山を二つ越えた村に出かけるのだったわ。

 そしてまた、人の気配。
 今度の気配は何も話しかけないのでした。
 ああ、この気配も良く知っている。どういう名前で呼んで良いのかは、わからない。姿は見えないわ。でも、節穴からでも覗いていそうなことはよくわかる。強欲な、嫌な男。
 こちらの「気配」には、まるで遠慮というものがない。押さえつけられるような重苦しい気配。

 やがて、その気配もまた、去っていった。

 一夜が明けると、婚礼の朝。
 姫は、外に出された。姫と呼ばれるようになってからは、初めてのことだったろう。姫は気配に囲まれていた。たくさんの気配は、どれが誰の気配かなどわかりはしない。ただ、2つだけ、感じ慣れた気配があった。
 長者は、いつになく怯えていて、男は、いつになく思い詰めていた。

 嫁入りの行列が始まるというので、姫は歩き始めた。
 足元に、白いものがつながっている。そういえば、長者が話していた。「わしは、おまえの輿入れの道を、餅で埋め尽くしてやるからな」と。してみると、これが、餅に違いない。
 姫が餅に足をかけると、それまで姫を取り囲んでいた気配が、さすような鋭さに変わった。端にいる長者は哀れなほど怯えていて、あの男の気配は、人々の気配の中で、ずば抜けて、鋭く姫をさした。

 その瞬間。
 とりの羽ばたきが聞こえる。
 ああ、長者はこのことに怯えていたのか。姫の嫁入りの道を餅で敷き詰めて見せなければ、恐ろしくてたまらないほど、長者は怯えていたのに違いない。山2つを越えて、敷き詰められた餅は、まごうかたない、自分の米なのだ。
 羽ばたきはさらに激しくなった。餅は一斉に白鷺に変わって、飛び去っていった。
 長者の気配は、消えた。姫は……姫という名前で呼ばれるようになって初めて、長者のために泣いた。

 人々の気配が穏やかになり、あの男が近づいてきた。男は勝ち誇ったように姫をつかむ。白鷺が二人の回りを舞い続ける。
 ああ、今度は何という名前で呼ばれるのだろう。
 そして、「姫」の記憶はとぎれた。


『Erina would meet ...』 [→index]

 女だ。
 突然、ディスプレーに一枚の写真が写った。どこのどいつが、こんな馬鹿なメールを……と思ったけれど、すぐに考えを変えた。なにしろ、おれ宛のメールではない。
 少々気が滅入る。新手のハッカーかよ、これは。まあ、「日曜日なのにどうして仕事をするの?」なんかよりは、よっぽど愛嬌はあるが、それも、おれの管理しているサイトを避けて通ってくれたらの話だ。

 さっそく、「ハッカー対策会議」
 なんて、考えるのはおれひとり。ネットワーク管理者なぞ、ひとりしかいない。弱小サイトの悲哀ってものだな。
 宛名:kossa@west.ast_lab.com 差出人:erina@es1.pole.co.ch
 スイスからアメリカまでのメールか。しかし、見れば見るほど、これは当たり前のメールだ。おれのサイトのメインプロセッサに確かに存在しているという事を除けば、ハッカーのかけらもない。別段、被害があった様子もない。故に、この問題はなかったことにする。これが、「臨時ハッカー対策本部」の結論だ。

 しかしながらだな……。
 ちょっとした美人。「えりな」にちょっかい出してみるのも良いかも知れない。何と言っても、おれはこのサイトのネットワーク管理者で、そのサイトに、不法に届けられたメールがあったわけだから、えりな嬢に話しかけるネタには困らないとしたものだ。
 数分後、「メール未達」とディスプレーに表示される。ある程度予想はしていたが。こうなりゃ、意地だ。しゃくにさわらぬでもないが、男の方にもメール出してみるか。

 そして、男に出したメールは、実に奇妙な振る舞いをした。
 おれがメールを送信するとすぐに、メールの内容がディスプレーに表示された。こんな仕掛けは作っていない。おまけに、届いたのか届かないのか、ついぞ、「メール未達」は表示されなかった。

 実は……
 このマシンは、親父が買ってきてくれたものだ。5歳の誕生日にワークステーションを買ってくる親父も親父だが。
 当時、中古の出物ということで、安売りに出されていたらしい。なんでも、前世紀の遺物的代物で、いわく因縁有りげな人物が使っていたマシンだったらしい。まあ、5歳の子どもの誕生日プレゼントなんて物にふさわしい値が付いていたと言うわけだ。
 もちろん、こういった物の常として、ハードディスクの中身も、設定用のEEP−ROMもきれいに消されていた……が、実に間抜けなことに、バックアップテープが残っていて、ハードディスクに戻すと、ちゃんと動いてしまった。
 すぐにそれとわかる、おもしろい情報はなくて、まあ、それでも、ひととおりの物は揃っていて、それいらい、古くさいだの何だのいわれながら、おれの愛用のマシンになっている。

 それを思い出したとたん、メールに残っていた、発信日時が急に気になってきた。1996年12月3日。70年前。どうせ悪戯だと思っていたから、70年前のメールが現れても、驚きはしなかったが、あれこれを思い会わせると、まるで、前のユーザーの怨念でも残っているようで、少々気持ちは悪い。

 結局のところ、全部を突き止めるには、1週間ほどかかった。
 まず、ワークステーションにあった、getkossad というプログラム。なんだかわからないまま動かし続けて、いまだに自動起動しているプログラムだ。これが、ネットワークを通過する kossa@west.ast_lab.com 宛のパケットをすべて捕捉するプログラムだった。getkossad が作ったファイルは、あらかた消されていたけれど、ディスクサーベイをかけて、3000個ばかりのファイルの痕跡を見つけた。
 実に……確かに、最初のファイルのタイムスタンプは、1997年1月18日。
 その後長くて数カ月、短ければ数週間ごとにファイルが蓄積されていた。おれが5歳になって、このマシンを使い始める前20年ほどは、空白になっていた。
 最後のファイルは、まさに写真が表示された、あの日の物だった。
 そして、その3000個のファイル。ようするに3000パケットのデータは、えりなの写真を表示するためのデータだったらしい。
 70年の間ネットワークをかけずり回って、やっとここに3000パケットが揃った。それで、データ完結して、写真が表示されたわけか。
 kossa のデータはまるでなかった。west.ast_lab.com は、ASTリサーチという社名で現存していた……が、西部ブランチに kossa のデータはなかった。かつて、そう言った名前の従業員がいたという痕跡すら。
 えりなは、もう少しましだった。とはいえ、70年ほど前に、国際犯罪がらみで、早い話が、騒乱罪にかかわる取り調べを受けたという記録を引き出すのがやっとだった。

 話をまとめるのは、そう大変な事じゃない。
 Kossa と名乗る男は、多分、信念に従って、ASTを追われた。あおりを食らって、えりなは取り調べられた。Kossa は、どこにもアカウントをとれないものだから、強引に自分のマシンをインターネットにつなぐ。そして、かつての自分のアドレスに、えりなが送った面影を集めようとしたんだな。70年かかったよ。3000パケットがもう一度出会うまでに。
 確かに、前世紀の技術を引きずりっぱなしのインターネットには、前世紀のデータも山ほど残っている。しかし、まさか、前世紀のパケットが、自分を引き取ってくれる相手を求めて、未だにさまよっているとは思わなかったな。


『こぶとり』 [→index]

 昔のことです。ある村に2健の家がありました。隣り合わせの家には、どちらにもおじいさんとおばあさんが暮らしていました。どこといって変わったことのない暮らしぶりでしたが、ひとつだけ変わっていたのは、おじいさんたちは、揃いも揃って、頬に大きな「こぶ」をこしらえていたことでした。
 右の家のおじいさんは、「しょうじき」という名前で、左のほっぺたに大きな「こぶ」をぶら下げていました。左の家のおじいさんは「よくばり」という名前で、やはり、右のほっぺたに大きな「こぶ」をぶら下げていたのでした。

 「しょうじき」は、今日もこぶを持て余していました。なにをするにも邪魔ですし、何といっても、見栄えのいいものであはありません。「しょうじき」は、こぶを取ろうと、あれこれをやってみるのですが、どうしてもうまくいかないのでした。
 いっぽうの、「よくばり」は、こぶのことなど気にしていない風でした。そりゃ、多少は右の頬が重い気はするのですが、べつにどうという事はありません。そしてなにより、一度会っただけの人でも、すぐに、「こぶのおじいさん」と言って、親しくしてくれるではありませんか。

 さて、こんな二人でしたが、ある日、「しょうじき」が耳よりの噂を持ってきました。なんでも、鬼が山の中で酒盛りをすると言うのです。たまたま旅人が出くわして、「おもしろい踊りを見せろ」と言われたとか。
 旅人が、それなりの踊りを披露すると、鬼たちが、「おもしろいから、また来い」と言ったとかで、旅人は、証文代わりに一番大切な物――うっかり、「財布だ」と言ってしまったらしいのですが――を取り上げられたという事です。
 旅人は、財布は大切には違いなかったのですが、命はもっと大切ですから、もう2度と鬼たちのところには行かなかったそうです。

 これを聞いた「しょうじき」は、なに鬼のことだ、「こぶ」を取るくらい造作もなかろうと、その日から踊りの稽古に励みました。そうして踊りを覚えた「しょうじき」が、首尾良くこぶを取ってもらったのは、みなさんの良くご存じの通りです。

 そこでたまらないのは、「よくばり」の奥さんのおばあさんでした。「しょうじき」がこぶを取ってもらったというので、その様子を根ほり葉ほり聞き出すと、さっそく「よくばり」に踊りの稽古をさせたのです。
 残念ながら、「よくばり」には、才能がなかったのか、あるいは、おばあさんが、あまりにもせいたのか、さらには、「よくばり」が、こぶを取ってもらおうという気がなかったのか、踊りに失敗して、鬼たちのひんしゅくを買い、「しょうじき」についていたこぶまでもらって帰ったのは、これまた、みなさん良くご存じの通りです。
 「よくばり」の奥さんの嘆きようと言ったらありませんでした。隣のじいさまは、鬼を手玉にとって首尾良くこぶを取ってきてもらったのに、おらがじいさまと来たら、取ってもらうどころか、こぶを増やして、おかえりだと、その嘆き声は、3日3晩続いたと言います。

 さて、当の、「よくばり」は、2つになったこぶも気にする様子はなく、あいかわらず、「こぶのおじいさん」として、皆に慕われていました。一方の「しょうじき」は、ふつうのおじいさんになってしまったので、その後どうしていたのか、誰も覚えてはいませんでしたとさ。


『湖山長者』 [→index]

 私は、目の前に広がる一千町歩の田を見おろしていた。ふと、考えるのだ。私は、なぜ、これほどの田を持っているのだろうと。
 確かに若い頃から、私は勤勉ではあった。あるいは、時間を惜しまず働いた。けれど、私より勤勉であった――なにより、貧しさ故に、私より勤勉でなければならない者たちは、いくらもいた。
 なぜ、私だけが、これだけの土地の地主になったのだろう。

 土地だけではない。今日一日で、田植をすませるために、千人を越える早乙女を集めた。なぜ、私にこれだけのことができるのだ。千人の召使いを抱えるなどということが、私に許されるのだろうか。

 運が良かったというだけなのかも知れない。
 私が手がけた田は、ことごとく豊作だった。十七の時の、このあたりを襲った凶作が契機ではあった。その年も、私の田だけが豊作だった。作物の量が、村人との力関係を決めた。その年、私は小作人を持った。
 このあたりの村は、その後何度かの凶作に見舞われたけれど、いつでも、私の田だけは、豊作であったのだ。
 数年が経つうちに、進んで私の小作人になろうという者さえ現れた。無理もない。私の小作人であれば、豊作が保証されるのだから。
 この村全体が完全に、私の地所になったのは、二十年ほど前のことになる。以来、この村に凶作の年はなかった。

 そんなことを思いながら、私は田植の様子を見ていた。
 一千町歩を一日で植え終わる。考えてみれば、それだって奇跡のようなことだ。もともと、小作だの地主だのなかった頃の村の田植は、三日ほどかかっていたではないか。
 けれど、初めからそうだった。私の地所は一日で田植を終えた。小作が増えて、それにつれて、地所が増えたのにだ。
 二十年前。この村の全部が私の地所になった年。私は、いくらなんでも一日で田植えが終わるはずはなかろうと思っていた。しかし、それでも、田植は一日で終わってしまった。この村全部の田植が一日で終わるなどということがあるだろうか。

 その年もまた豊作だった。一日で終わる田植。毎年のような豊作。私が、「長者」と呼ばれ始めたのは、まさに二十年前のその年だった。

 夕暮れが近い。私は人々のざわめきに気づいた。田植が終わりそうにないのだ。二十年来、いや、最初の豊作の年から数えれば、四十年以上続いた、一日で終わる田植え。それが今年は終わりそうにないというのだ。
 ざわめきが大きくなる。今年は一日で田植が終わらなかった。凶作の年になるに違いない。そう言って、皆が浮き足立った。
 人々の視線が私に向かって刺すように注がれる。私の元にいれば、豊作は約束されており、その証に、田植は一日で終わるのだ。なぜ、今年は終わらないのだ。

 結局、私には人々を鎮めることも、説得することもできなかった。
 今にして思えば、馬鹿なことをしたものだと思っている。私は扇を持つと、太陽を押し戻したのだ。馬鹿げたことだが、私は長者であって、何かをせねばならなかったのだ。
 驚いたことに、私のふる扇に合わせて、太陽は戻っていった。
 暮れかけていた太陽が押し戻されて、人々はひとしきりざわめくと、また、大慌てで田植を始めた。結局今年も、日暮れまでに田植を終わることができた。今年もまた、豊作だろう。誰もがそう思って帰途についた。

 ……それからまた、何年が経ったことだろう。
 太陽を押し戻して、強引に田植を終えたその翌朝、一千町歩の田は、湖に変わっていた。人々は、私の屋敷を襲い、私は命辛々逃げ延びた。

 今は、遠い昔の物語である。


『天女伝説』 [→index]

「おまえさま、これをご覧ください」
「お、おまえ、どうして、その羽衣を……」
「作りました」
「作っただと?」
「はい、私はもともと天人にて、羽衣を縫うなど造作もございません。あいにくと、地上には羽衣になる布一枚、糸一本なく苦労はしましたが、それでも、時たま地上に残る羽衣もあり、あるいは、わたくしの身を案じて、天の住まいから糸をおろしてくれたものをさがしたりなどして、ようやくにおりあがったものにございます」
 両親の最後の会話は、きっとそんな風だった……

 やっと見つけた。
 何か特別な目印があるというわけではなかった。しかし、この場所に間違いはあるまい。奇妙な、なつかしさを感じる。おれ達兄弟が、父親に隠れてしばらく母親と会っていたのは、ここだったのに違いない。
 いまさらここに戻ってきたとしても、むろん、母親に会えるなどとは思いはしない。ただ、父親が亡くなり、なんだか一度はここに舞い戻って来たくて仕方がなかったというところだ。

 正直なところ母親の記憶というものはほとんどない。甘えた記憶やら、遊んだ記憶やらが断片的に残っているだけで、思い出といえば、どこかの山――それは、ここに違いないのだが――父親の目をぬすんで会っていたことが、大部分を占めているのだ。

 そして、おれ達の記憶と奇妙に合致するかのように、親父は――ほとんど日記を付けていなかったのだが――おれ達の母親が天女だったと書き残していた。
 村の言い伝えによれば、天女は二十三夜の明け方近くに地上に降り、沐浴をするという。親父は人々に馬鹿にされながらも二十三夜になると、徹夜で天女を待った。どこで天女が沐浴をするのかは、誰も知るはずはなく、山裾の清水で天女を見つけるまでには、そうとうな時間がかかったらしい。
 親父は、最初のうちは、天女の沐浴をただ見ているだけだったそうだ。次第に数を重ねるうちに、天女と話してみたくなった。そして親父は、まず、羽衣を奪った。
 思った通り、羽衣を奪われたまま天女は帰るわけにはいかず、親父は天女と言葉を交わした。そして、このまま返したら、二度と会えないだろうと知った親父は、決して羽衣を返さなかった。

 親父は天女と結婚し、おれ達が生まれた。
 おれ達が生まれた頃には、両親は、ごく普通の夫婦のように見えたそうだ。
 そして、さらに時が経ち、母親は、自分で羽衣を織った。

 羽衣をまとった母親を、笛と太鼓で見送ったのは、確かにここだったと思う。そして、その後も、母は、ここで何度かおれ達に会ってくれたのだ。

「あいつが、自分で羽衣まで作って、天界に帰っていったのは、結局うれしいことだ。おれはあきらめよう。おれが好きになったおまえは、やはり、羽衣に包まれて天空を舞うおまえだったのだな。おまえが自分で、おれの元から去ることを選んで、結局、おれも、おまえがそうしたことを、あたりまえのことで、おまえらしいと思っているよ」
 親父の日記の最後のページにはそう書かれていた。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
『日本昔話』 by 麻野なぎ
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(licensed under a CC BY-SA 4.0)

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