04 633 96/06/28 00:09 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その1
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96/06/28 00:08:58 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その1
――人は死して物語を残す――
物語は1通の手紙から始まった。
《「蛍の谷」においでください。
そして、ひとつだけ聞かせて。
ナギ、あなたが恋したのは、ハシカミ? それとも、キラ?》
そして、ここは、『蛍の谷』
「どうしました? ナギ?」
「……ユカルハ。なぜ?」
「おおかた、ハシカミに振られたのでしょう」
「そのようだな」
おれは、突然話しかけてきたユカルハに少しばかり驚きながら、ハシカミの様子
を思い出していた。この街で出会ったハシカミは、おれが抱きしめると、逃げ出し
たのだ。
違うな。ハシカミは、実に緩慢な動作で、おれの腕を振りほどいていった。
「有り得べからざるもの……」
「どういう意味だ」
「今のハシカミは自分だけの世界で生きている。それも、他人を拒否するのではな
くて、他の人がそこにいるなんて、信じられないの。あなたに抱きしめられても、
動きづらいな位にしか、思わなかったはずよ」
「あんた、何をした」
「仕掛けたのは、ハシカミの方だわ……そして、あなたには捕まってもらいます」
「あの手紙は……」
「ハシカミが書いたものよ。そのくらいは、信じてあげなさい」
ユカルハが合図をすると、数人の男達がおれを捕らえた。
「さんざんだったな、ナギ」
しばらくして、どことなく間延びした声が響く。
「ポポ」
「ひさしぶりだったな、ナギ」
「どういうことだ、これは」
「うん、今に説明できると思うがな」
「今すぐ欲しいものだが」
「ちょっと待って欲しいな」
ポポは、結局何も教えてくれなかった。ただ、ハシカミが、しばらく西の街で歌っ
ていたとだけ、教えてくれた。
「ちょっと待て。ハシカミが西の街にいたって?」
「そうだな。まちがいない」
「……噂を聞かなかった」
正直にいえば、おれは、このところハシカミの行方をつかみかねていた。いつも
なら、「噂を引きずって歩いている」ほど、ハシカミの噂には事欠かない。いつだっ
て、誰かのことを占っては、「夢」を煽って、殴り付けられる占い師――ハシカミ。
それが、今度ばかりは、まるで噂を聞かなかった。それも、西の街――街道でも
一番の街にいたのにだ。
嫌な予感がした。
そんなおれにかまわず、ポポは帰っていった。
ERIKA
04 639 96/06/28 23:25 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その2
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96/06/28 23:24:48 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その2
「それで、おれは人質って訳か」
「いいえ。あなたがここにいなくても、ハシカミはここに来るわ」
「じゃあ、どういうつもりで……?」
「会わせたくないの。一緒にいさせたくない」
「…………」
「私は、ここにいなければならないわ。思い出してみて。ハルカの弔いの時ですら、
ハシカミは私といちばん長い時間を過ごしたわ。初めてよ、同じ街にいるのに、ハ
シカミと会えないなんて。だから、あなたにも会わせはしないわ」
「ユカルハ……」
「驚いた? 私がわがままで、残酷だって。そうよ。でも、ハシカミは必ず来てく
れる。『私はこわいのよ』って、そう言ったら、『そうよ、あなたはこわい人だわ』
って、はっきり言うためにね」
「わかった。じゃ、最初から聞こう。何があった?」
「ハシカミはオサパを読み解いたわ。完璧にね」
「あんたがやらせたんだろう、ハルカの弔いの時に」
「そして、単に読み解いただけじゃなかった。ハシカミは、『西の街』で歌い始め
た、『金と銀の神話』を」
「質問に答えろ。ユカルハ、あんがた、ハシカミに読み解かせたんだろう、オサパ
を」
「ハシカミは歌い続けたわ。占いも忘れて……」
「ユカルハ……わかるか? おれが言ってることが?」
「わかったとしても、答えるかどうかは、私が決めることです」
「…………」
「ハシカミにはあなたがいる。そして、私には50人のジプシーがいる」
「なに?」
「50人。多いと思う? それとも少ないと思う? この街道のジプシー全部よ」
「50人か」
「そう。小さな集落ぐらいのかずね。でも、街道は広すぎるわ。数百の集落の中で
漂う50人よ」
「それが、どういう関係が」
「私は、50人を守らなければならないでしょう」
「だから」
「でもね、ハシカミを手に入れることが出来るのなら、裏切ることのできない数じゃ
ないわ」
「ユカルハ……」
「期待はしない方がいいわ」
昼までには、ユカルハは帰っていった。ハシカミの行方は、厳として知れない。
ERIKA
04 649 96/07/03 23:03 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その3
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96/07/03 23:03:03 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その3
「元気そうですね、割と」
おれは驚いて顔を上げた。
「アキ……か」
「おひさしぶりです。驚かせてしまいましたか?」
「いや……いい。それにしても、今日はあんたか」
「ええ。私たち――ポポと私が、あなたの見張りを命じられたものでして」
「見張り?」
「はい。そうですね、適当に解釈して下さい」
「話を変えよう。ハシカミはどうしている?」
アキも、それは知らないと言った。アキは嘘はつかないだろう。答えられないと
きには、そう、はっきり言うに違いない。
「そう。誰も知らないの……多分、ユカルハもね」
「それでも、ハシカミはここに来る――ユカルハはそう言ったが」
「きっと来るわ」
アキは、なんだか、ずいぶんと懐かしいものを思い出すように見えた。
ユカルハは、本当にハシカミを殺すつもりでいる。ジプシー達の目の前でね。だ
から、ハシカミを追いつめたわ。オサパを読ませたのもそのせい。
「オサパを?」
「ハシカミは、オサパに綴られた夢に気付いたなら、多分、黙ってはいない」
「黙っていない?」
「そう。たとえ、傷だらけになっても、『夢を見ましょう』って、そう言って歩く
のがハシカミだもの」
「で、それをユカルハが殺すってのは?」
「ジプシー達は、怖がっているわ。オサパに綴られた夢は、見てはいけない夢だって」
「それで……」
「そう、ユカルハは、ジプシーを守る。『教室』の主として」
「それならそれで、なぜ、オサパなんか読ませたんだ」
「ユカルハは、ハシカミを憎んでいたから。だから、殺す口実が欲しかった」
「…………」
「そして、同時に、ハシカミも、そして、ジプシーも、本当に愛していたから」
「…………」
「だから、ユカルハは、ハシカミに望みを託した。ジプシー達が、かつて抱えて、
恥ずかしそうに抱いてきた夢を、ハシカミには知って欲しかったし、そして、出来れ
ば、伝えて欲しかった」
「…………」
「ナギ、あなたよ、鍵は」
「鍵?」
「そう。ジプシーは、あなたを殺したりはしないわ」
「…………」
「だから、もしも、もしも、ハシカミが亡くなるようなことがあったら、どうか、
あなたが、ユカルハの夢を引き継いで。ハシカミがあなたに話した物語を」
「アキ……」
「今は、信じてあげて、ハシカミを、そしてユカルハを」
アキは、最後に語った。
ハシカミが、「反撃」に出たのが、あまりにも早すぎたのだと。
ハシカミも、また、ユカルハを憎んで、そして愛しているのだろうと。だから、
「私はこわいのよ」とそう語りかけるユカルハのもとに、どんなに恐ろしくても、
ハシカミはやってくる。「あなたは本当にこわいわ」そう言うために。
アキは、短い歌を歌うと帰っていった。
ジプシーの言葉で、だから、おれにはわからない歌だった。
ERIKA
04 652 96/07/04 23:58 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その4
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96/07/04 23:58:18 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その4
夜明け。
朝焼けを背景に立つユカルハはさながら女神――確かに、金の女神だ。
「どうしましたか?」
ユカルハは、こともなげに言う。おれの見張り役のはずのポポとアキは、昨夜か
ら姿を見せない。砂漠に急ごしらえの牢など、見張りがいなければ、抜け出すこと
は造作もない。おれは、ユカルハに談判に出かけた。
「なに、あんたも、結構綺麗だと思ってな」
「ありがとう。で、ご用は?」
これはやっぱり、罠だったかな。まあいい。とりあえず、聞くだけ聞くまでだ。
「答えてもらおうか、なぜ、あんたはハシカミにオサパを読ませた」
「ハシカミなら読み解けると、そう思ったからですよ」
「答えになってないな」
「私自身がジプシーの掟を破るわけにはいかないのでね」
「卑怯な奴だ」
「そうよ。でも、あなたには、そして、ハシカミにもそう言わせない」
「なに?」
「あなたは、ジプシーの掟などなにひとつ知らないし、たとえ破ったところで、誰も
あなたを殺そうとはしない」
「なら、ハシカミは、殺されかねいってことか」
ほんのわずか、ユカルハの表情が動いた。
「そう。ハシカミはジプシーの掟を知っている。でも、彼女は自由だわ」
「自由?」
「彼女は、たとえ、『教室』がなくても、そして、ジプシーの掟がなくても生きてゆ
ける」
ユカルハは続けた。
私にはわからない。ハシカミは、まかり間違えば殺されかねないことの恐怖を知っ
ているのかいないのか。オサパに書かれていたこと。ハシカミの話した神話なんて、
本当は些細なことだわ。しゃべったところで、ジプシーたちの暮らしが変わるわけで
も何でもない。でも、ジプシーたちは恐れいてる。見てはならない夢。
情けないことだけど、わたしにしてもそう。
本当に些細なことでしかないと、思っているのに、知られることがとてもこわい。
自分で知らせることが出来ないから、誰かに知らせて欲しいと思った。ハシカミな
ら、きっと知らせてくれる。
それでいて、私がそう望んだのに、こわくてたまらない。そして、私や、他のジプ
シーたちが、こわくてたまらない「夢」を、まるで平気な顔で、歌い歩いてゆく、誰
彼かまわず知らせようとする、ハシカミが憎い。
「ひどく身勝手な言い分だな」
「わかっているわ。あのね、確信犯っていちばんこわいのよ」
いいわ、あなたには教えてあげる。ハシカミが憎いから、彼女には教えなかったけ
ど。オサパは、ジプシーの持ち物じゃないわ。私達は、受け取っただけ。
「じゃ、ジプシーの夢ってのは……」
「もちろん、ジプシーとは何の関係もないわ」
「何の関係もない話で、ハシカミを殺す気か」
おれは、朝焼けの女神と対峙した。ハシカミの話を思い出す。ユカルハは、ナイフ
の使い手で、ハシカミより強いという。情けないことに、おれは、ハシカミにもかな
わなかった。
また、同時に思う。ユカルハは、なんて綺麗なんだ。
おれはしばらく動けなかった。
「ユカルハ! 大丈夫か?」
突然、聞いたことにない声が響く。おれは、ハシカミが好きだ。決して殺させはし
ない。おれは、ユカルハにナイフを向けた。
結局、おれのナイフがはじき飛ばされて、牢に連れ戻されのに、時間は掛からなかっ
た。ポポが、牢の外から声をかけた。
「ナギ、そんなに焦ることはないぞ」
ERIKA
04 653 96/07/05 23:23 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その5
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96/07/05 23:23:02 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その5
おれは、静かな歌声で目をさました。ジプシーの歌だ。
「アキか?」
「ちょっと、どうして、アキの名前が出てくるわけ?」
「ハシカミ!」
夜明けの光を背景に、ハシカミはいたずらっぽく微笑んでいた。
「ハシカミ……」
「なに?」
「綺麗になったな」
「なによ、それ」
「正直な感想だ。だが、銀の神様としては、いささか威厳に欠けるかな」
「ユカルハを見たのね。いいの、私には威厳なんて必要ないんだから」
「必要ない?」
「そうよ。で、どうして開口一番『アキ?』だったのか、聞かせてもらいましょうか」
「いや、別に……」
アキがジプシーの歌を聞かせてくれたこと、おれには初めての歌だったこと。だか
ら、ジプシーの歌を聞いて、アキの名前を出したこと――おれが話すと、ハシカミは
とりあえず納得してくれたようだ。
「捕まったのか?」
「ううん、会いに来たの、ナギ、あなたに」
「会いに来たっ……て、出るときにはどうする?」
「大丈夫よ、見張りはどこかでさぼってるようだから」
「なんて、いい加減な見張りだ」
「だから、良いように解釈しましょう」
何から話したらいいんだろうか。
「ハシカミ、逃げよう」
「なによ、唐突に」
「ユカルハはあんたを殺す気でいる」
「そうでしょうね、きっと」
「そこまでわかっていて、なぜ、ここに来た?」
「殺されてみるのもいいかも知れないと思ってね」
「本気だぞ、ユカルハは」
「うん、でも、彼女は本気で憎むのなら、本気で愛してくれるわ。だから、ユカルハ
のことを、ちょっと信じてみようという気になってね」
「おれの言うことよりもか?」
「……うん」
「いいか、そもそも、オサパなんてジプシーとは何の関係もないんだぞ。何の関係も
ないことを口実に、ユカルハはあんたを殺す気でいるんだぞ」
「知ってるわ……あ、違うか。気付いたわ、やっと」
「気付いた?」
「うん。それより、ナギ、どうして蛍の谷だかわかった?」
「どうしてってのは?」
「わざわざ、蛍の谷に来てもらったのが。そうね、蛍の谷の伝説は知ってる?」
「そのくらいは知ってる……」
そこまで言って、おれは気付いた。どうして気付かなかったのだろう。蛍の谷の伝
説というのはこうだ。
今は、砂嵐が吹き荒れるここ、蛍の谷は、かつて湿潤な環境で宿場として栄えた。
ところが、やがて、日照りが続いた。さしもの蛍の谷も、干ばつの危機に襲われた。
ある日、ひとりの占い師が、「日照りはやがておさまる」と予言し、しかし、2度と
雨は降らず、この谷は滅びた。
そう、予言を外して、殺された予言者の名前は、ペペル、谷を追われた娘の名は、
ハシカミと言った。
ERIKA
04 657 96/07/07 17:18 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その6
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96/07/07 17:18:04 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その6
ハシカミが語った、「金と銀の神」の伝説。
覚えている? オサパには、「金と銀の神は、ひとりの赤ん坊に12個のプレゼン
トを贈ろうとした」と書かれていた。ジプシーが伝えたのは、「神々は、12人の赤
ん坊にプレゼントを渡そうとした」
初め、私は考えたわ。オサパに綴られたものが、正しいジプシーの神話だと思った
わけ。それを、誰かが曲げて伝えた。そして、誰かが曲げて伝えるだろうと思ったか
ら、神話を語った誰かは、密かに神話を編み込んだのだと。
でも、どんな意図で神話を変えたのかなんて、わからなかった。
こういう解釈は出来るのね。
神々が託した贈り物を、使いは結局渡せなかった。そこで、「12個のプレゼント
を」となれば、渡せなかったことを知っているのは誰? 使いだけだわ。ううん、も
しかしたら、赤ん坊の一族が12個の贈り物を要求したのなら、一族全部が知ってい
るわね。
逆に、「12人の赤ん坊に」なら、贈り物をもらえなかった赤ん坊が、そして、
その一族だけしか知らないことになる。
オサパは、「使いは贈り物を魚に託した」と語り、ジプシーが「使いは贈り物を
海に流した」と語るのも同じこと。12人の赤ん坊に11個の贈り物なら、あとは、
運命に任せることだって出来る。でも、相手がひとりしかいないのなら、ごまかし
は効かない。自分が渡せないのなら、誰かに託さなければね。
でね、思ったの。それは、ここ、蛍の谷の物語だってね。そして、ジプシーはオサ
パの物語を曲げて伝えた訳じゃなかったのだってね。ジプシーは、オサパの物語をも
とに、自分達の物語を伝えたのだわ。
だから、オサパは――少なくとオサパに綴られた金と銀の神の物語は、ジプシーと
は関係のないものだわ。誰か――遠い昔の、ジプシーではない誰かから、私達、おそ
らくは、占い師の一族が受け継いだものに他ならない。
ナギは知らないでしょうね。今、占い師って私ひとりなの。ジプシーの間に占い師
の血筋はひとつしかない。それが、代々オサパを受け継いでいたのだわ。ペペルから
ユカルハに渡って、そして、私のもとに帰ってきた。
オサパにあった金と銀の神の物語がどういう意味なのか私にはわからない。でも、
これだけのヒントがあるのだから、いずれわかるでしょう。
ジプシーの神話は、蛍の谷に由来するものだわ。占い師のペペルは、12個目の予
言を成就することが出来なかった。彼の予言にも関わらず、雨は降らなかった。蛍の
谷は滅びて、人はこの谷を捨て、ペペルの娘は、街道をさまよい、やがてジプシーに
なる。
今でも、この街は宿場だわ。かつてこの街道の発祥の地で、宿場だったと伝えるた
めだけに、まだ、ここには宿があって、人が生活している。
いまさら、ジプシーがペペルの、雨を降らせられなかった占い師の末裔だなんて言っ
ても何も起きはしない。そもそも、蛍の谷を今も守っている人々は知っているわ。で
も、ジプシー達は、それだけのことが怖くてたまらない。不安をいだくのは良いこと
じゃないわ。
本当は誰でも知っていることを、秘密にしたくて、必死になるなんてばかげている。
「誇りあるジプシーの一族。希代の名家」だれもそんなこと信じていないのに、必死
で信じているふりをしなくちゃいけない。だから、秘密は秘密だ。
そういうわけで、私は全部ばらすことにしたの。いい? だれかが、秘密を抱えて、
不安で不安でたまらないとしたら、そして、冷静に考えて、それが秘密でも何でもな
いとしたら、説得するより先に、全部ばらしてしまうことだわ。何かを怖がっている
人には、実際に体験してもらうしか、そして、慣れてもらうしかないの。
そして、オサパはそういうものだわ。いつか、すべての秘密をあからさまにするた
めに、ひっそりと、けれど、いつか必ず読み解いてくれる誰かに託した物語。
ERIKA
04 660 96/07/08 22:30 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その7
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96/07/08 22:30:35 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その7
「ポポは旅に出たわ」
ハシカミが姿を消し、見張りに復帰したアキがつぶやく。
「これ以上見ていられないってね」
「見ていられない?」
「ハシカミが罵倒されるのを」
「あんたは? アキ?」
「私は、ハシカミを陥れる役だもの」
「陥れる役?」
「そう。嘘は言わないつもりだけど、かなりひどいことは言うわよ」
「それって……」
「で、私がやるなら、自分はいらないだろうって、ポポは出ていったわけ。ま、
たまには、私が汚れ役をやってもいいかな」
「何を話しているんだ?」
「ジプシーは家を持たない……いい?」
「ああ、そうだ」
「ジプシーは家族を持たない……いい?」
「それは知らないが、そうなのか?」
「でも、それは全部嘘。教室がなくなっても、ジプシーと会わなくても、ちゃんと
やっていけるのはハシカミくらいよ。わざと、ジプシーから引き離したんだわ」
「だから?」
「とんだ狂言芝居よ。ペペル、ハルカ、ユカルハ、そして、ハシカミ。掟だとか、
血筋だとかに縛られたくなかった生粋のジプシーたち。ただ、ハシカミが、どんなに
ジプシーの拘束、血筋やらを嫌悪しているかを甘く見積もったのが間違いのもと」
「はは。なるほど、ハシカミの反撃が早すぎたって訳か」
「そう。荒療治は時には有効だけど、まだまだジプシーはひ弱すぎる」
「で?」
「ハシカミは、罵声の中で死ぬことになる」
「どうしてもか」
「残念ながらね」
「…………」
「オサパは、見知らぬ人への手紙。そして、罵声の中で人が息絶えるとき、新しい物
語が綴られてゆく。蛍の谷のペペルの物語は、そうして、ジプシーと、そして、ここ
蛍谷の伝説と、両方の形で残ったわ」
「…………」
「触れたくない。話したくないのに、決して忘れられない伝説」
「今度は、ハシカミが人身御供か」
「そうね。いずれ、ジプシーの神話になるかも知れない。きっと、誰かが読み解くわ。
ハシカミの物語を」
「……狂ってる」
「そうかもしれない。ジプシー全部が。ハシカミだけが正気なのかも知れない。でも、
そうだとしたら、正気な人間がいちばん邪魔じゃない?」
アキは、やがて姿を消した。「決戦は明日よ」そう、言葉を残して。
ERIKA
04 661 96/07/09 20:53 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その8
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96/07/09 20:53:14 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 その8
おれは広場に引き出された。
彼らの連絡網というのだろうか、それは、やはり確かなものだ。ユカルハの言っ
た50人のジプシーが、ほとんど集まっている。この時のために。
やはり、ポポはいないようだ。
やがて、ハシカミが現れる。
ジプシー全部を敵に回すにしては、気負いは感じられない。むりもないか、彼女
は、ユカルハ――自分の親友――の姿しか見ていないのだから。
アキを初めとして、数人のジプシーが、ハシカミを糾弾する。ジプシーの秘密を
暴き、伝統をつき崩そうとした反逆者。
そして、ハシカミが最後の弁明を行う。ジプシーの伝説は、ここ、蛍の谷でも良
く知られた話だ。秘密だと思いこむのがそもそもの間違いなのだ。
裁きが決められた。ユカルハがナイフを構える。ハシカミが応戦する。勝負はす
ぐについた。ユカルハは、一度ハシカミのわき腹に刺したナイフを引き抜くと、改
めて首筋に突き刺す。とどめだ。ハシカミは崩れおちた。
おれは一連の出来事をひどくゆっくりと認識していた。ハシカミが刺され、崩れ
落ちたハシカミを助けなければ……そう判断して、これまた、ゆっくりと近づき、
やっと抱き上げた時には、ジプシーはもう残ってはいなかった。
おれが気を取り直して、首筋のナイフを抜こうとしたとき、以外に元気そうなハ
シカミの声が響いた。
「あ、そのままにしておいて」
「ハ・ハシカミ!」
「そっちは、抜くと出血するし、第一、よっぽどうまく抜かないと、身の危険感じ
る」
「ハシカミ……」
「大丈夫、やっぱりカリラにはかなわないわ。私だって、手加減したつもりはない
のに、ちゃんと突き刺してくれた。おまけに、きっちり急所を外してね。だから大
丈夫。これで、めでたく、邪魔もののハシカミは死んだわ」
「…………」
「あ、でも、お医者様には連れていってね、悪いけど」
「ハシカミ……大丈夫か、本当に?」
「うん? キラでいいわ。まだ『ハシカミ』は、荷が重いから。そうね、大丈夫」
そう言うと、キラは目を閉じた。おれは、キラの呼吸を感じていた。強くはない
が、しっかりした息づかいだ。これなら、大丈夫だろう。
おれは、キラを抱きかかえると、蛍の谷でただ一軒の宿屋に向かった。
ERIKA
04 662 96/07/09 20:53 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 エピローグ
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96/07/09 20:53:42 ERIKA ハシカミ ―― 決戦 エピローグ
さて……
結局、オサパが「街道のどの文化とも共通性を持たない」のは、もともと、街道の
ものではないからなのでしょう。文化や歴史を越えて、どこかに読める人がいて欲し
いという願いを込めて織り込まれ、いつか、誰かが読み解き、さらに、新しい物語が
つけ加えられてゆく。オサパとは結局そういうものなのでしょう。
「ハシカミ」というのは、ひとつの象徴でした。ひとつの文化の中で、伝説が生ま
れるときに、呼ばれる名前。だから、「ハシカミ」そして、「ユカルハ」という名前
自体、もともとジプシー達のものではなく、故に、異質な名前だったのです。
物語は、(交渉がなくて本当に知られていなかったようですが)同じ名前をキーに
して、ジプシー達と、蛍の谷に残りました。
ハシカミには、今はまだ、伝説を受けとめるほどの技量がなく、とりあえず、キラ
に戻りました。街道を自由に歩き、占い、時に殴られる、そして仲間を探し続ける娘
に。
ナギは、そんなキラの物語を、彼の言葉で綴るのでしょう。
BGM 『黒い郵便線』(別役実)
ERIKA