幻の『LIVE・パート2』の中のエピソードをひとつ。
ゆかりが持ち歩いているキーボードをめる夕祈との会話です。
文中に出てくる、「協同組合」ってのは、正式名称「ゆかりちゃんに振られた男協同組合」と言いまして、早い話が、ゆかりのファンクラブです。
それでは……
「こんにちは、夕祈さん」 「いらっしゃい、ゆかちゃん」 「そうだ、夕祈さん、ここに住み込んじゃったら?」 「何、言ってるのよ」 「どうせその予定なんでしょ」 「そんな予定なんかないわよ」 「なんだ、つまらない ^^;」 「つまらないってね……。そうそう、そう言えば、ゆかちゃんのキーボードって、 大切なものなんですって」 「あ、協同組合の連中しゃべったのね」 「ううん、話してはくれなかったわ。詳しくは直接聞いてくれって」 「よしよし、なかなか常識わきまえてる、連中も」 「ゆかちゃんったら」 「あのキーボードね、兄の形見なの」 「あ、悪いこと聞いちゃったわね」 「いいわよ。あのキーボード兄の手作りで、本当に世界に1台しかないの」 「大変なキーボードじゃない。ははん、それで、いつもキーボード抱えている訳ね」 「そんなとこ。でね、キーボードの音、あたしが作ったの」 「ゆかちゃが? すごいじゃない」 「まあ、ここいじったら良いよって、教わったんだけど……でね、ついでに言うと、 実は、あれ、壊れてるの」 「壊れてる?」 「なんでもね、『オペレーターがひとつ壊れている』んだって」 「わからないわよ、それじゃ ^^;」 「あたしもわからない。でもね、要するに、音作るときに、出せない音結構あるの」 「……でも、形見だものね、お兄さんの……」 「夕祈さん」 「なに?」 「今の台詞、健次さん言ったんなら、ひっぱたいてる」 「え?」 「やっぱり、夕祈さん、ひっぱたきづらいわ。そう……たとえ兄の形見でも、使えな いなら……そうね、飾っとくわ」 「え? あ……あ、そうか……ごめん、ゆかちゃん」 「うん、まあ、いいけど。普通そう思うよね。違うの。なんか、ずいぶんとおかしな キーボードらしくてね、出せない音結構あるんだけど、あのキーボードでしか出せな い音、少しあるの」 「少し?」 「そう。少し。今のところ、それだけあれば、あたしの音楽には充分」 「足りなくなったら?」 「そうね。どうしても欲しい音出なくて、他のキーボードなら出る……ってのなら、 乗り換えるわ」 「お兄さんの形見でも?」 「そう。あたしのこと、嫌になった?」 「ううん、さっきはごめん。ゆかちゃんならそう言うんじゃないかとは思った」 「よかった」 「歌おうか?」 「いいわね」 ゆかちゃんの言葉によれば、選りすぐりの音14個。順番に聞かせてくれた。それ にふさわしい歌をつけて。私も一緒に歌って……知らない歌は、彼女のソロで。 いつか、ゆかちゃんに15番目の音が必要になることが来るのだろうか。それは、 私の中で、昨日の会話と重なっていた。いつか、ゆかちゃんは、私ではない誰かの ボーカルを必要とすることがあるのだろうか。 やっぱりね。そのときが来ても、ゆかちゃんは形見のキーボードを捨てないと言っ た。だったら、私もいつまでも彼女の友達ではいられるだろう。でも、彼女が、私の ボーカルを「使えない」と言う日が来たなら、私はそれを喜ぶことができるだろうか。 皮肉だわ。ゆかちゃんにひっぱたかれそうになったとき、私は確かに思ったもの。 お兄さんの形見にこだわって、そのキーボードの世界でしか音楽を作れないとしたら、 ゆかちゃんは、ずいぶんつまらない人だね……そう言う風に。
もどる |