「ここです」という名の本屋さん

プロローグ

 「ここです」という名前の書店は、駅前商店街に埋もれていました。そう。気を
つけなければ見過ごしてしまいそうなお店です。

「いらっしゃいませ」
「珍しいお店ですね」
「そうですか? 普通の本屋ですけど……」
「ええ、そうですね。ただ……」
「ただ?」
「本の並べ方がね、ちょっと変わってるなと思って」
「そうですね。並べている訳じゃありませんから」
「並べているわけじゃないって?」
「だから、『あの本が欲しい』っていって来られるお客さんだと、探せないかも知
れませんね」
「そりゃ、不親切な」
「だって、私だって、どこにどんな本を置いたか全部覚えてませんもの」

 やっぱりおかしな店だ。そんなに広くはない。ちゃんと並んでいる棚があるかと
思えば、むこうを向いているのがあったり、はすかいに置いてある棚だってある。
おまけに、ちょっと並べ方が変だ。小説だとか、マンガだとか――そんなくくりが
あるわけじゃない。シャーロックホームズと、ポアロがあっちとこっちに泣き別れっ
てのも変だし、「不思議の国のアリス」の隣が「代数学入門」ってのも絶対に変だ
(←でも、これはまだ、考えられるかも知れない)

「本屋さんがわからないんじゃ、どうしようもないよ」
「そうね……その時は、ほら、ちょっと行ったところに、『なんでも書店』がある
でしょ。そっちに行ってもらうことにしてるわ」
「…………」
「ここはね、図書館じゃないの」
「え?」
「本のタイトルやら、作家やらを目当てに来るところじゃないの」
「じゃどうやって」
「そうね……。このフロアをひとまわりしていただけますと、あなた様が本当に読
みたい本が見つかります……ってのが、ここのやりかた」

 というわけです。
 確かに――どう言っていいのかわからないのですが、無茶苦茶な並べ方をしてあ
るのに、なんだか不自然な気はしませんでした。
 というわけで、ぼくは、この街に1週間ほど滞在する予定なので、もしも、お店
の人が迷惑そうにしなかったら、またやって来ようと思います。
 そうですね。気に入った本があったら、買って帰るのもいいでしょう。

第1夜

 翌日の夜遅く、「ここです」書店に女の人が駆け込んできました。

「すみません、『星の国の花束』ってありませんか?」
「申し訳ありません、ちょっとわかりかねるのですが……」
「これです、ここに載っている……」
 女の人は、新聞の切り抜きを出すと、「今週の本」だとか、そんな記事を指さし
ているようでした。

「探してみないとあるかどうかは……」
「いい加減なお店ね」
「申し訳ありません」

 それでもしかたなく女の人は、フロアをまわって探し始めたようです。「なんで、
子供の本がこんなにあっちこっちにあるのよ」とか、ぶつぶつ言いながら。

 ところが、しばらくすると、女の人は本棚の前で立ち止まってしまったのです。
やっと見つかったのかな――そんな風に思ったのですが、それも違うようです。
 女の人は、1冊の本を手に取ると、なんだかじっと表紙を見ていました。そして、
ゆっくりと本を開くと、少し読んで。
 結局、女の人は、3度繰り返して、3冊の本をレジまでもってきました。

「お願いします」
「ありがとうございます」
「あ、別々に包んでいただけますか?」
「贈り物ですか?」
「ええ。1冊は娘に。1冊はあの人に。そして、1冊は私に」

 女の人は、入ってきたときとはうって変わってゆっくりと出てゆきました。
 不思議そうにしているぼくに、お店の人はこう話してくれたんです。

「ここはね、自分が本当に読みたい本を教えてくれるところなの。あ、ちょっと
違うか。本当に読みたい本を思い出させてくれるところよ」

第2夜

 男の人が入ってきました。
 お店の前を通り過ぎようとして、ちょっと気付いたように立ち止まって、少しば
かりひきかえして、そして、「ここです」書店に入ってきたのです。
 入り口を抜けたあとも、少し要領を得ないようで書店の中をあちらこちら歩き回っ
ていました。

 そうしているうちに、昨日の女の人と同じように、本棚の前に立ち止まってしまっ
たのです。
 一冊の本を手に取ると、ずいぶんと長い間読みふけっているようでした。それなの
に、お店の人は何も言いません。

「立ち読みだよ」
「そのようね」
「いいの? あのままで」
「いいわ、別に」

 話しているうちに、男の人と目があって、ぼくは慌ててそらしたのですが……。

 どのくらい経ったか男の人は、レジの方にやってきました。手ぶらです。
 それでも、レジを通り抜けるときに、小さな声で言ったのです。
「ごめん。お金が無くて」
「いいえ、気にしなくてよろしいですよ」
「また来ます……必ず」
「ええ、お待ちしております」

 「ここです」という名の本屋さんは、駅前通りの商店街に埋もれています。
 だから、この本屋さんを見つける人というのは、本当に、「ここです」書店の
お客様なのだ――と、お店の人はぼくに言ったのです。

第3夜

 3日目が過ぎて、ぼくは本当に驚いてしまいました。
 「ここです」書店のお客様ってのは、とっても少ないのです。ぼくが、そう話し
かけるとお店の人はなんでもないことのように笑っているのですが。

「そうね。ちょっと少なすぎるわね」
「ちょっとじゃないと思うけど」
「でもいいじゃない、ゆっくりできて」
「お店の人がゆっくりしてても、しょうがないよ」
「そうね。でも、いいの。気がつかなかった?」
「え?」
「ウチのお客様ってね、いいお客様ばかりだから」
「良いお客……って?」
「大抵はなにがしかの本をお買い上げいただいておりますわ……って意味」
「でも、昨日は立ち読みだったじゃない」
「あら、あの人だって、本を買いに来てくれるわ。また来るって言ってたじゃない」
「信じているんですか?」
「もちろんよ」
「だって、昨日の男の人、ほとんど読んじゃったじゃないですか」
「それでも来てくれるわ。本当に読みたい本なんだから」

 正直なところ、ぼくには良くわからなかったのです。でも、つぶれずにやってい
けてるんだから、きっと、それでいいのでしょう。
 それに、なぜだかわからないけれど、ぼくも、昨日の男の人はきっとまた本を買
いに来てくれるだろうし、お客さんの数は少なくても、毎日、きっと誰かが本を買っ
て行ってくれるような気はするのですが。

 それにしても……
「でもね……」
「なんでしょう?」
「本当に読みたい本がある人は、お店を見つけて入ってくる……ってそう言ったで
しょ」
「そうよ」
「誰かが本当に読みたい本って、これだけしかないの?」

 ぼくは、余り広くない店内を見回して尋ねたのです。

「今のところ、足りなくて困ることはないわ」

 お店の人は、そう答えただけでした。

第4夜

「電話かけてますよ」
「そうみたいね」

 男の人が入ってきました。店内をひととおりぶらつくと、やっぱり、本棚の前で
立ち止まってしまうのです。
 昨日までのお客さんと同じです。男の人は、立ち止まるとしばらく本を眺めてい
ました。違っていたのはそれからです。男の人は電話を取り出すといきなり電話を
かけ始めたのです。

「でも……」
「どうしました?」
「話している様子はないですよ」
「そうね……もう気にしちゃいけないわ」

 そう言うと、お店の人は紅茶をいれ始めました。本屋のレジで紅茶だなんて、ぼ
くはちょっと驚きましたけど、結局お相伴になって、天気の話だとか、この街の暮
らし向きだとかを話していました。電話をかけている男の人は、ちょっと気になり
ましたけどね。

 やがて、紅茶もおしまいの頃、ちょうど男の人は本を一冊抱えてレジまでやって
きました。
「あの……お願いします」
「はい。贈り物ですか?」
「え、ま、まあそうです」
「うまく渡せるといいですね」
「え……。ええ、そうですね。うまく渡せたらいいな。でも、渡せなかったとして
もいいんです」
「それはそうですね」
「ええ。一冊の本でも買う気になったんですから」
「とっておきのリボンを、おかけしましょう」
「ありがとうございます」

 そういうと男の人は出てゆきました。
「どういうこと?」
「さあ。何があったのかしらね」
「あの人は何も話さなかったじゃない」
「話さなくても、何か起こる事って、そんなに珍しい事じゃないわ」

 お店の人は、ご機嫌で、それ以上何を言っても取り合ってはくれませんでした。

第5夜

 今夜のお客さんは、ちょっと年を取ったカップルでした。
 2人並んで入ってきたかと思うと、別々にフロアをまわり始めたのです。

「喧嘩しているわけじゃないですよね」
「そう見えます?」
「いえ」
「じゃ、違うんでしょう」

 しばらくすると、2人はやっぱり、それぞれに本棚の前に立ち止まってしまい
ました。本を探し、長い時間をかけて表紙を眺め、そして、おもむろに本を開く
と数ページを読んで。

 そしてまた2人は歩き始めました。ゆっくりと。
 フロアのちょうど真ん中あたりで、2人は出会い、お互いの本を交換します。
ちょっと微笑んだように見えました。
 しばらくして、2人はまた歩き始め、また本棚の前で立ち止まり――そして、
同じように本を選びました。

「ありがとうございました。ごいっしょでよろしいですか?」
「はい」
 お店の人は合わせて4冊の本を袋に入れたところです。
「いつもありがとうございます」

 お店の人がそう言うと、お客さんは帰ってゆきました。

第6夜

 雨が降っていました。
 雨の中をやってきた今夜のお客さんは、お店の中を何度か行き来すると、一度も
立ち止まらずに出ていってしまいました。
 お客さんが出ていってしまうまで、お店の人も何も言いませんでした。

「お客さん、すぐ出て行っちゃったね。一度も立ち止まらなかった」
「…………」

「ちょっと前にね」
「え?」
 だいぶ時間が経ってからお店の人は突然話し始めました。
「『誰かが本当に読みたい本って、これだけしかないの?』って尋ねてくれまし
たよね」
「うん。覚えてる」
「足りないのよ」
「足りない?」
「そう。全然足りないわ」

 ぼくは黙ってお店の人の話しを聞いていました。

 今日来たお客さんね、私の好きなタイプの人じゃない。あ、嫌な人だとか、嫌い
だとかじゃなくてね、特に好きなタイプの人じゃないって事。だから、あの人が読
みたい本がどんな本なのかって、わからない。違うか。感じられない。

 たまにあるの。やっぱり雨の日とか、雪の日なんかにもね。そんなときに限って、
「ここです」書店を見つけてくれて入ってきてくれるのに、何となく好きになれなく
て、だから、どんな本も準備できない。

「本を増やすんですか? その……いつか」
「ううん。当面そのつもりはないわ。でも、ちょっと残念かなって、いっつも思う
の。それだけ。気にしないでね」

 その日は夜半まで雨が降り続いていました。

第7夜

「あと、どのくらい本棚がおけると思います?」
 突然、お店の人が尋ねます。
「そうでうね……3つくらいなら……あと、本棚をきちんと並べたらもっと置ける
と思うけど」
「そのくらいかしら。じゃ、もうしばらく、ここでやっていけるわね」
「え?」

 お店を開いたとき、本棚は2つしか無かったそうです。店番をしている彼女の棚
と、そして、亡くなってしまった婚約者の棚。お店の名前も今とは違っていたそう
です。

「意識した訳じゃなくてね。お店を開くのが予定よりかなり早かったから、あんま
りお金が無くて、棚2つしか本が入れられなかったの」

 本棚2つというのは、いくらなんでも少なすぎます。だから、本当に気に入った
本だけしか置くことはできませんでした。
 お店の人は、自分が本当に置いておきたい本を探しました。そして、もうひとつ、
生きていたならきっと彼が置いておきたがっただろうと思う本を。

 ずいぶんと長い間、2つだけの本棚でお店を開いていたのだそうです。
 3つめの本棚が加わったのは、この街にすむ登山家が、長い登山から帰って、そし
て偶然、お店を訪れたときのことでした。

「気に入った本が見つからなかったようで、彼は1冊も本を買わなかった。でも、
どういう訳か1週間通い続けたの。新しい本が入るでもないのに」
「好きになったんじゃないですか? あなたのこと」
「そうでもなかった。なんとなく、話が合いそうだと思ったとは言ってたけどね」
「そうなんですか……」
「でも、素敵な人だなとは思った。で、この街にも素敵な人はいるんだなと気付い
てね。当たり前のことだけど」
「…………」
「当たり前のこと。素敵な人は、自分の故郷だとか、そういう特別なところにだけ
いるわけじゃないって。結局どこにでもいるんだってね」

 いつしか、「この街の登山家の本棚」ができました。3つめの本棚。あとは、簡
単です。この街で好きな人を見つける度に、本棚がひとつずつ増えていったのです。

「ひょっとして……ぼくの本棚も作ってくれるんですか?」
「わからない。どちらにしてもまだ先のことだわ」
「まだ先のこと?」
「だって、あなたのことは何もわからないのだもの。もちろん、どんな本をおいた
らいいのかもね」

 ひとしきり話すと、ぼくは、明日はこの街を離れるからと言い残して、「ここで
す」書店を後にしました。

エピローグ

 列車は駅を離れました。お店の人がわざわざ見送りに来てくれたのには、ちょっ
とびっくりしましたけどね。
 お店の人は最後に、「ここです」書店の由来を話してくれました。

 「ここです」書店は、「あるべくしてここにある本屋」なんだそうです。
 それは、ここです。

 小さな街の駅前通りを通り過ぎていった人たち。たまたま通りがかっただけの人
のことが好きになって、ひとつずつ本棚が増えていったのが、「ここです」書店な
のだから……って。
 だから、「ここ」にしかない、でも、本当は、どこにでもある筈のお店の中で、
「ここ」にあるお店。
 そういったわけで、本棚が5つになったとき、「ここです」書店という名前を付け
たのだそうです。

 ぼくは、1週間ぶりに帰宅します。きっとまた来ると思います。同時に、駅を降り
たなら、もうちょっとだけ注意して町並みを眺めてみようと思うのです。
 ひょっとしたら、ぼくのすむ街にだって、ひっそりと「ここです」書店が、お店を
開いていたりするかも知れませんから。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
『「ここです」という名の本屋さん』 by 麻野なぎ
この作品は、 クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス の下に提供されています。
(licensed under a CC BY-SA 4.0)




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Nagi -- from Yurihama, Tottori, Japan.

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