ダッシュ!

春の地区大会、陸上競技の百メートル走。
一二秒七八の自己ベストで走り抜け、顧問の「大王」に報告する。思った通り、「よくやったな」の一言で終わってくれた。予定通り、なんたって、残された時間は短い。
ところが、「佐々木を見なかったか?」と大王。せっかく最初の難関を突破したのに。
「探してきます」と、叫んで、俺は飛び出す。とにかく、時間がない。言い訳は無用。俺は、このあと、グランドを抜け出し、極秘でテニス部の応援に行くのだから。
彼女、植村杏奈の試合まで十五分。グランドを抜け出し、テニスコートまでは、五百メートルほどの上り坂。つまり、時間がない。
だからこそ、練習に練習を重ね、自己ベストをたたき出した。大王に報告して、記録が伸びてなければ、容赦ない追求が待っている。
「記録がのびないな」に始まり、どうしてだと思う?」「次はどうする?」と。だから、ぼくたちは、彼を大王――閻魔大王と呼ぶ。
もっとも、いつもなら、多少脱線しながらのアドバイスは、そんなに悪くはない。でも、今回は別だ。何しろ時間がない。
そして、ねらい通り、大王の話は一瞬で終わった。なのに、佐々木の莫迦、どこをほっつき歩いている?
まずは、自分たちのテント。トイレ。もしかしたら、こっそりパンでも買いに行ったか? どこにもいない。
片っ端から、「佐々木、知らないか?」と聞きまくり、あげくのはて、「大王にしぼられちまったぜ」と、佐々木が現れた。
俺は何をしていたのだ?
まあいい、済んだことは。残り時間五分。おれはもう一度トイレに駆け込むと、私物のジャージを着る。できるだけ、正体は隠さなければならない。
あたりを気にしながら、グランドを脱ける。
「おーい、リレーの練習しておこうぜ」
何か聞こえたような気がしたが、無視。今日の俺にはリレーより大切なものがある。

俺は一瞬考える。テニスコートまでは上り坂。まっすぐに上る道は、ここから丸見えだ。服は着替えたが、目立たないに越したことはない。野球場に回って、石段を登ろう。これで、誰からも見えないはずだ。俺は野球場に向かう。
そう、野球場は、グランドからは死角だ。そして、自動販売機も少し豪華なものが並んでいる。そういった場所で、俺は陸上部の一団を見つけることになる。(おまえら、サボるなよな)
他の誰かの陰になるように注意しながら、おれは、見つからないように、野球場をすり抜ける。
「お、荒木、おまえもサボりか?」
幻聴にちがいない。無視しておこう。
石段を登り切れば、いよいよテニスコート。
ところが、そこに、わが北中のテニス部がたむろしていた。おまえら、試合は?
そういえば一年の時、杏奈が話していた。テニス部は人気で、試合に出られない人も多いと、(陸上部は一年からみんなレギュラーでいいよね、とも)レギュラーじゃない生徒が、石段の上で固まって応援している。さすがに、この中で応援するわけにはいかない。野球場まで引き返している時間もない。強行突破。
「今の荒木君じゃ?」
もちろん、これも幻聴だ。
なんとか、他の学校の生徒に紛れて応援。他校のテニス部に知り合いはいない。その点は安心だ。でも、他校の中だから、杏奈をおおっぴらに応援できないのは、ちょっと困った。

午後のリレー。招集までになんとか戻り、「練習さぼるな」とにらみつける仲間達を、「とっても大切な用事があったから」を拝み倒す。自己ベストは逃したが、準決勝に滑り込んだから、結果オーライ。
こうして試合は終わった。リレーはぎりぎり決勝を逃したけれど、準決勝で記録は伸びたし、よしとしよう。

帰りのバスに乗ると、おれは大王に呼び止められた。
「荒木、充実してたか?」
「はい」
勢いよく答える。
「で、植村は勝ったのか?」
「え、植村って、あの、な、なんのことですか?」
ばれてる。 帰りのバスの中で、みんなに冷やかされたのは、いうまでもない。

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『ダッシュ!』 by 麻野なぎ
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Nagi -- from Yurihama, Tottori, Japan.
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